★★★冬遍路(ダイジェスト版)★★★
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◆はじめに


 98年1月11日から2月16日まで、36日間歩き通した四国一周歩き遍路の記録です。この旅の、そもそもの動機は、とにかく仕事のことを一切忘れて長い休暇をとってみたかったこと。自分の体力、忍耐力がどの程度のものか再確認してみたくなったことの2点でした。なお、88ケ所のお寺さんを廻ることから、亡くなった両親と義父の供養も兼ねたく、三人の写真を懐中に収めて歩き通しました。遍路中の留守宅への連絡は、行動を記したはがきを毎日出すことだけとし、電話等の直接連絡は一切しませんでした。実は、このことで、ちょっとしたハプニングがありました。

 起床、足の手入れ、荷物の整理、トイレ、朝食そして出発。宿の予約はその日の午前中に。日中は行動食(パン類)をとる以外はひたすら歩くことに専念(1日平均40km)。宿泊は民宿またはビジネスホテル。宿では入浴、足マメの手入れ、夕食、留守宅への連絡用のはがきを書き、次の日の歩行距離と宿泊地を決め、就寝。という何とも単調なパターンでしたが、根が真面目な性格なので(わははは、)飽きることはありませんでした。この旅、何日かかっても途中で中止することだけは決してするまい、という固い決心で臨んだことはいうまでもありません。

 計画にあたって必要な情報は、インターネットを利用して収集しました。当初、街の本屋さんや図書館で探しましたが、地図がしっかりしているものが見つからなかったのです。そこでインターネットで、遍路に関連するホームページを見ていくうちに、「へんろ道保存協会」が出している「四国遍路ひとり歩き同行二人」(3千5百円)が「遍路のバイブル」ともいえるものであることがわかりました。さっそくそれを取り寄せましたが、これがすばらしい。遍路に必要な持ち物の準備から参拝の仕方、そして詳細な遍路道地図と民宿、旅館、ホテルのリストが載っているのです。

  背負った荷物は、着替えを含めて約8kg。実際に役立ったのは、靴下乾燥用の小型ドライヤー、急な雨にも即対応の折り畳み傘、早朝及び夜間歩行必需品の懐中電灯、何はなくても郵便局のキャッシュカード、ホントは使いたくないけど一番お世話になった足マメ用テープ、豪雨、吹雪もなんのそのの雨具上下、ここはどこ??で使った磁石、最後に忘れてならない、家への連絡用の郵便はがきでした。遍路をしていると、地元のいろいろな方からお接待(現金や食べ物をいただくこと)があります。はがきは、そのときのお返しとしても大変重宝しました。


◆徳島編


1月11日(1日目)
 東京から夜行バスにて早朝7時半徳島着。雨。1番からというのもしゃくなので番外の種蒔大師に初参拝してから、おもむろに1番霊山寺へ向かう。寺前のお店で必要な品々を購入する。買ったばかりの白衣、輪袈裟を着てちょっと恥ずかしい。太子堂と2ケ所で般若心経を唱え、納経札を箱に入れる。その後、納経所でお寺さんのありがたいサインをいただくというのが、参拝の作法です。初日は早めに2時半5番地蔵寺前の宿にドボンする。

1月12日(2日目)
 雨。国道に出ると薄汚れた白い犬が現われてなぜか私を先導する。しばらく一緒に歩いていたが、餌もあげない無愛想な私にあきらめて戻っていってしまった。はがきを買ったお店でお茶をいただく。はじめてのお接待でなんかうきうきした気分になる。近道の橋が工事中で遠回りさせられた。と考えてはいけないんだっけ。途中で車に声をかけられるが、ここで挫折しては元も子もない。丁寧に合掌してパス。4時、11番藤井寺脇のお宿泊。

1月13日(3日目)
 遍路最難の山越え、といわれる焼山寺。早朝、懐中電灯を灯して山道に入る。尾根道は雪が残っていてよく滑る。12番焼山寺ではおまけに吹雪になった。しかしまじめな私はこれも修行と納得するのである(ホント)。今日はかの有名な俳優萩原健一氏が訪れたという13番大日寺前の宿に泊まった。おかみさんが彼のことを激しく、詳細に、かつ熱心に紹介してくれた。

1月14日(4日目)
 このところ朝の日課はマメの手入れです。宿を出てすぐ、子供たちの挨拶がうれしくて持参の消しゴムをあげた。途中、寄り道してお寺に参拝したら、そこにはミッキーマウスとミニマウスのペアの石像があったWhat is this ? 今日のお宿は山あいの小さな町の遍路宿。夕食なしなので目の前の飲み屋さんを勧められるが、足マメが極限状態で部屋を出る気にもなれない。非常食カロリーメートの寂しい夕食。激しい雨で明日も止む気配なし。

1月15日(5日目)
 今日は成人式というのに生憎の雨、晴れ着組にはうらめしかろう。道筋にあったお寺さんに参拝したら、そこの住職さんがえらい感激して、みかん8個もお接待してくれた。そしてパンを買いに入ったコンビニでは若い女性に励まされて、さらに元気がでた。そお、これから二つ山越えしなければならない。20番鶴林寺を越え、21番大龍寺への登りでは、またまた犬が先導してくれた。頂上でおねだりしてじゃれつくが、じゃけんに追い払ってしまった。私は桃太郎ではないので残念ながら、お団子を持ってなかった。民宿では、タクシー遍路さん約10名と一緒に美味しい夕食をいただいた。

1月16日(6日目)
 朝早い峠越えだ。薄暗い竹林の中は、なかなか不気味でおもむきがある。竹のしなり音が時に悲鳴のように聞こえる。遍路道はごみがほとんどないので歩いていて気持ちがいい。22番平等寺は今までで一番派手なお寺だった。少し抵抗があったが、サインしてくれたおかみさんが美人だったので、まっいいか。邪念のせいか、そのあと道を探し損ねてうろうろしてしまった。国道へ出てからが超長い道のりだ。23番薬王寺前は人がたくさんいて賑やかだった。歩き出してすぐ、無料遍路宿をやってるというおじさんが勧誘してくれたが、今予約したばっかり。残念だがパスさせていただく。今日は延々10時間歩きっぱなしでマメがまめまめしく、いやにぎにぎしくお出ましになった。おー痛たった。

1月17日(7日目)
 マメ足を引きずりながら、ひたすら室戸岬を目指す。海岸沿いの開けた気持ちのいい国道。朝8時、追い抜いていく自転車の高校生の挨拶が妙にうれしい。東洋大師では住職さんが昔のお遍路の話などをながながと、たまにしか寄らない遍路さんを放してくれない。国道沿いのみかん売りのおじさんやおばさんから伊予柑をたくさんいただいてうれしいー。夜6時すぎ、暗がりのなかのぽつんと光る明りをたよりに、予約した宿に転がり込む。明日は室戸岬先端の最御崎寺、いよいよ高知県に入る。

◆高知編


1月18日(8日目)
 岩にぶつかる波頭とサーフィン族を眺めながら、24番最御崎寺へ。室戸岬先端の山頂にあって約1時間の登りだ。朝から雨が降ったりやんだり、山を降りて車道に出たところでマメのテーピングのやり直し。25番津照寺を打って、やっと薄日もさしてきた。みかん売りのおじさんに声をかけられるが、足マメに神経が集中して上の空。早々と15時にはお宿へ。早くお風呂に入ってゆっくりしたいよお。

1月19日(9日目)
 昨日予約したお遍路の3人が結局来なかったとおかみさんがぼやいている。「大丈夫お遍路さんだったら、きっと来ますよ!」なんて慰めをいった手前返す言葉もない。海沿いの道をひたすら歩いた。宿に荷物をあずけ、27番神峰寺まで約2時間の山道を往復する。下りは走りに、走った。走ると着地時間が短いのでマメの痛さが半減する、という奇妙な法則を見つけてしまった。しかし、それにしてもマメが超痛いよ!

1月20日(10日目)

 足マメの手入れをしながら歩くが、痛さで歩く速度が大分落ちてきた。予定より1時間も余計にかかって28番大日寺を16時。やっとの思いでクリアー。道を尋ねた石油配達のおじさんが忙しいのに立ち止まって親切に教えてくれた。合掌。17時ようやく遍路無料接待所に到着する。ここは都築さんという方が歩き遍路のために無料で食事、風呂、宿泊をさせてくれるところですよ。じょわーん。

1月21日(11日目)
 昨日、5日間ほど農作業をお手伝いさせてくださいと申し出てOKをいただきました。ここは花の栽培農家です。今、花芋(球根?)を掘りだす時期で作業員(3名)の人達と一緒に作業をしました。6時起床、朝食前の一仕事、8時朝食、芋堀り。12時昼食、芋堀り。3時うれしいおやつ休憩、芋堀り。6時お風呂、7時夕食というのがおおまかな一日です。

1月22日(12日目)
 作業は小さな車のついた椅子に座って、トラクターで掘り起こした花芋の土を払って収穫するというものです。冷たい風が吹き抜ける畑で、鼻水をすすりながらの作業は楽ではありませんが、その後の風呂、食事には格別のものがあります。

1月23日(13日目)
 収穫した芋は、さらに別の場所で回りに付いている子芋を切り落とします。雨が降ると土が重くて芋堀作業が進まないので、テントの中でこの子芋の切り落とし作業をします。ちょうど相撲放送があって、それを皆で聞き、冗談を言い合いながらの楽しい作業です。応援していた武蔵丸が負けちゃった。

1月24日(14日目)
 久しぶりに晴れあがってよく冷え込みました。あまりに寒いので、畑をビニールテントで覆ってその中で芋掘り作業をしました。夜は部屋に戻ると暖房はおろか何もないのでふとんに潜りこんで、転がっている雑誌や文庫本を眺めて時間を過ごします。

1月25日(15日目)
 いよいよ出発の日です。おかみさんが、おにぎりを作ってくれました。ありがとうございました。お世話になりました。お陰様でこの日は足マメも回復して順調に歩くことができました。31番竹林寺で地元氏子さんに大根汁のお接待をうけながら、おかみさん手作りの昼食にちょっとうるうるしてしまった。快調にとばして17時。今晩は33番雪渓寺前のお宿。
 
 ここまでは、泊った宿ではがきを書いて、翌日ポストがあると投函していた。しかし、この5日間は無料宿泊所に止どまっていたので、自宅の方には音信不通になっていた。
 うちのカミさんの話『そろそろ四万十川に差し掛かる頃・・・。なのに、もう5日も連絡がない。ひょっとして行き倒れになっているのではないか・・・ インターネットで遍路のグループを探し出し、「実はむさ苦しい中年男が遍路に出たまま消息不明になりました。なんとか探す方法はないものでしょうか」すると、すぐ「年齢、特徴、体格などを知らせよ・・・」再度詳しい情報を送ると、1日経って、足摺岬付近の人から、近くの数軒の宿と札所を調べたが、該当者なしという返事がきた。どうしたのだろう。やはり、もしかして・・・ そうこうしている内に、はがきが4、5通まとめて配達された。マメを癒して出発した日に5日分まとめて投函したものだった。やっと安心して、再びインターネットへ報告とお礼のメールを送った。その後も あちこちの方からたくさんメールを戴いた。遍路道中のご無事を祈願致しますというメールと一緒に、お地蔵さんの写真(表紙)を送って下さった方もいた。中には八十八番の満願成就の場所でお迎え致しますから、動静をお知らせ下さいというのもあった』
 私としてはマメで動けなかったこともあるが、いくらなんでも5日間もタダで泊まったのでは申し訳ないという気持ちで農作業の手伝いをしていた。この5日間でお天気も回復して、マメも癒った。ふりかえって、この5日間がなければ、今回の遍路の旅は到底達成できなかったと思う。

 
1月26日(16日目)
 朝はびりびり冷えるが、日中は天気もよく足も快調だ。34番種間寺を打ち、仁淀川を渡って、入り組んだ小さな町並を抜ける。おばあさんに呼び止められてお金をいただく。合掌。また、別なおばあさんが出てきてお金を。合掌。道を迷っていたらおじいさんが近づいてきて道を教えてくれた上に、みかん2個をいただく。またまた合掌。35番清滝寺を打ちもどり、ここからは工事中のトンネルを抜けられないと峠越えになる。「通行止め!」の立て看板がしっかりと立っている。しかし、いまさら峠を越える気にもなれない。「行けますか?」怪訝そうな作業員のまなざしを無視して真っ暗なトンネルにずんずん入っていく。大きな石がごろごろしている中を懐中電灯を灯して10分あまりでやっと出口が見えてきた。最後は宇佐大橋を渡って36番青龍寺。民宿に断わられたけど国民宿舎が予約できて助かった。しかし、これが山のてっぺんにあって、最後の登りは超、超きつかった。

1月27日(17日目)
 5時半暗闇の中を出発。海岸沿いの道。入り江の向こうに見える海岸線。海の上を歩けたらいいのにね。一つ山越えして道端で痛む足の手入れをする。あれからマメができる前にきちんと(少し痛みを感じたらすぐ)手当をしているのでもう大丈夫。靴下を脱いで足を投げ出して休んでいると、通りがかりのおばあさんに励まされる。今日は土佐久礼の予定で電話をすると民宿が2軒とも満員御礼状態だ。あれえー、泊まるとこがない!、ショックのあまりボックス内に使いかけのテレフォンカードを忘れる。しかし、ここで止まるわけにはいかない、行けば何とかなるさ。土佐久礼駅舎の中で寝る覚悟で、売店のおばさんに声をかける。おばさんが親切に旅館を探してくれた。ええ、幸運にもあいてる旅館がありました。天は私を見捨てなかった。合掌。

1月28日(18日目)
 歩き出してしばらく、山道に入る手前、たまたま家から顔を出した中年女性が私を見かけて、家に入ったかと思うとすぐさま出てきて、りんご、どらやき、缶コーヒーを下さる。合掌。峠を越えて道沿いで食事をしていたら、ドライブインから出てきた女性オーナーが休んでいきなさいと声をかけてくれる。すぐ発ちますからと、合掌。37番岩本寺を打ってしばらく歩き、小学校の前で休憩する。傍を通る子供たちの元気な挨拶が気もちいい。合掌。ここらは札所と札所の距離が長いから、なかなか大変なのです。

1月29日(19日目)
 朝6時、早い出発というのに起きて見送ってくれた民宿の老夫婦。ポンカンありがとうございました。海沿いの道。トンネルを抜けるとそこは(雪国であるはずはない)海だった。こないだの満員御礼テレフォンカード忘れ事件から、民宿は午前に予約を心がける。今日はしっかりOK。仕事で度々訪れた中村市内を流れる四万十川に出て、しばし感傷にふける。下流の長い橋を渡っていよいよ足摺岬への道だ。良心市(無人スタンドの別名)で仕入れたポンカンを手に、予約した民宿に16時着。

1月30日(20日目)
 足摺岬往復なので、ザックの中味は食料と水だけ。国道を外れて時々遍路道に入る。多少迷ったりしながらも海沿い、山沿いの入り交じった道は楽しい。帰り道、歩き遍路の男性に会い、しばらく言葉を交す。今の時期は滅多に歩き遍路さんと会うことがないので、すぐお友達状態になってしまった。名残惜しいがまたお会いできればいいですね。お昼のおにぎりの味は格別だった。宿に戻って、おいしいおにぎりありがとうございました。

1月31日(21日目)
 今日は、さらに道を戻って山越えし、39番延光寺を打って愛媛県に入ります。宿のおかみさんが、お接待ですといってお弁当を用意して下さる。感謝、合掌。舗装道路/山道の分岐で、どちらにすべきか迷う。昇り降りで体にはちと辛いが、足にはやさしい山道を選ぶ。どうしても舗装道路はマメができやすい(同じ箇所が圧迫されるせいと思う)。しかし、今日の5時間を越える山越えはかなりのものだった。疲れ果てて16時。おじいさんとおばあさんがやっている民宿に到着。さあ愛媛県に入った、もうひとがんばり。

◆愛媛編


2月1日(22日目)
 宿のご主人からいただいたおひねりには百円が入っていた。合掌。宿毛市内で散々迷ってやっと山道に入る。松尾峠を越えて、ここからは気持ちのいい落ち葉でふかふかの下り道。愛媛県に入って始めての40番観自在寺を打って、2時半。「あら、早いですね、もっと先まで行くんじゃないですか」宿のおカミさんにフェイントをかまされる。「いえ、今日は天気が崩れると聞いたものですから早めに」と言い訳。着く直前、目の前に車が止まったかと思うと、おやじさんが出てきて大福3個とおこわの、あっという間のお接待にびっくりする。

2月2日(23日目)
 6時半、まだ薄暗い。用意していただいたおにぎりを持って約1時間の山登り。尾根歩きは猪(?)が掘り返したような跡がところどころある。松尾トンネル、そのまま抜けるか、峠越えの旧国道か。峠越えは遠回りだが静観、自然豊かとガイドブックがのたまう。うっそー、現在工事真っ最中。ダンプばんばん、砂煙もうもうでやんなちゃった。41番龍光寺、42番仏木寺を打って今日3回目の山越え。7時過ぎ、へとへとになって民宿着。

2月3日(24日目)
 足摺岬でお会いした正統遍路(白装束、野宿、十数回目)のOさんと昨晩は同じ宿に泊まった。知人の家に寄るというので、43番明石寺で別れる。コンビニでパン3個と缶コーヒーを買ったら「お接待です」に感激する。ちょっと時間があるのでトンネルより遠回りの鳥坂峠越え。有名らしい札掛太子堂は、繋がれた犬がここぞとばかり吠えまくるので素通り。大須で買ったはがきはしっかり7桁表示になっていた。3時半、十夜が橋の無料無人宿でOさんを待つ。湿った布団に潜り込んで二人でよもやま話。

2月4日(25日目)
 5時、まだ暗い国道を1時間も歩いていると、標識を見落としていないか不安になる。薄暗がりで遍路道標識を見つけて左に入る。内子の街を抜けて、たき火中のおばあさん、そして車の中年のおばさんと二人立て続けで暖かい缶コーヒーのお接待をいただく。ここまでは順調だったが、その後のひわた峠越えは雪道でぐしょぐしょ。その上凍った道におろおろし、やっとの思いで午後4時民宿着

2月5日(26日目)
 44番大宝寺を打って、ここから山道。雪道の尾根を伝って45番岩屋寺だが、予定時間を1時間もオーバーする。今日中に47番八坂寺までいけるかどうか、怪しくなってきた。休みもとらず三坂峠をめざす。ここから下りの雪道を転がるように降りて15時。山合いの町に出る。46番浄瑠璃寺では美人のおカミさんに山道はどうでしたかと声をかけられ、かつ納経料をお接待され、うるうるした。予定通り八坂寺を16時半閉門前にクリア。

2月6日(27日目)
 お寺さんが互いに近いので48番から53番まで6つも回った。有名な石手寺は露店が並んだ完全観光寺で早々に退散。今日は淡々と歩いた。

2月7日(28日目)
 国道から遍路道に入って鎌大師。ここからみかん畑の急な道に迷い込んで1時間もうろうろしてしまった。磁石と地図をにらめっこしながら、急な坂を登ったり降りたり。結局鎌大師まで戻り、遍路道に復帰。峠を越えて国道に出て、Oさんから紹介していただいた加納さん宅に電話する。歩き遍路は無料で泊めていただけます。神社と隣り合せのお寺らしくない55番南光坊を打って加納さん宅へ。夕食後ご夫婦としばしお話しをする。「どうして無料の遍路宿を?」「一期一会です」ありがとうございました。

2月8日(29日目)
 朝から風が強く雨模様。仙遊寺の登り道では吹雪になった。体がすっかり冷えてちょっと悲しい気分。仙遊寺では、積もった雪に足跡が残るのを振り返って気をとり直す。山を降りて、なんと吉祥禅寺というお寺を見つける。急な階段を登ってしっかり般若心経を唱えてきました。一日中風が強く、歩いてはよろけるし、電線はひゅうひゅう唸るし、明日の山越えが心配だ。


2月9日(30日目)
 早い朝食に感謝して7時出発。道路は凍ってよくすべる。登りに入って積もった雪がうらめしい。休むと体が冷えるだけなので、白い息を吐きながら、ずんずん登る。山頂の60番横峰寺は10cmぐらいの雪で覆われていた。車道から山道の下りに入って上ってくるハイキングの人達と挨拶を交す。山を降りて61番香園寺。62番宝寿寺。そして期待の63番吉祥寺へ。東京の武蔵野市「吉祥寺」からきました、記念になるもの、、? えーと、えーと、では、この名前入の封筒で。はい、いただきます、ありがとうございます。ひなびた、静かなお寺でよかった。そしてなぜか懐かしかった。64番前神寺を打って、暗くなった国道をダンプやトラックの明りをたよりに、夜7時宿着。

2月10日(31日目)
 朝、小学生と度々会うが挨拶が返ってこない。何か無視されているようで悲しくなった。山を登って65番三角寺をうち、後は下ってトンネル通過。3時前に民宿着。明日の雲辺寺でいよいよ香川県入りだ。

◆香川編

2月11日(32日目)
 早い朝食で7時出発。66番雲辺寺は、その名のとおり山の上にあって2時間の上り。道路(車道)はアイスバーンでよく滑るし、遍路道(山道)に入ると雪が深くて苦労した。山を降りて67番大興寺では一変して強い日差し。汗ばむような気温。58番神恵院、59番観音寺は隣り合せ。さらに川沿いの道を1時間程歩いて60番本山寺。5時に予約した旅館に着く。おかずが超一杯出て、ご飯もたくさんおかわりして、その上美味しくて大満足。のどが渇いてお茶をガブのみしたせいか、夜中目がさえて困った。

2月12日(33日目)

 宿を出るとき、お接待5百円をいただく。71番弥谷寺で女性の逆打ちのお遍路さんに会い、しばらく言葉をかわす。4回目で、白装束が凛々しく決まっている。いい感じやなあ。ぼーーっとしながら歩き出す。72番蔓茶羅寺を打って、すれちがった幼稚園の子供たちの元気なあいさつに励まされる。今日は7つも回って77番道隆寺、紅茶とクッキーのお接待をいただいてしまった。思わず両手を握り締め「うれしいーっっ」と声が出て、食べながら少し涙がこぼれた。

2月13日(34日目)
 6時半薄暗いアーケード街を歩いていると、ぱたぱたバイクのおばさんが「お接待させてくださいっ!」といって千円を下さる。早起きは3文の徳。合掌。80番国分寺は広々として、掃除が行き届いていて、かつ琴の音が響いていてなかなか雰囲気が出ていた。ここから遍路転がしという思わせぶりな急坂を上りきって山頂の81番白峰寺。尾根伝いに歩いて82番根香寺。ここから下って83番一宮寺へ。汗ばむ陽気。途中道に迷って3角形の2辺を歩いてしまった。6時過ぎ、飛び込みで高松市内のビジネスホテル。完全素っ裸全衣類洗濯満艦飾状態で(わーおー)さっぱりした。

2月14日(35日目)
 高松市街をぬけ、左折して遍路道に入るとその辺りを掃除していたおじさんが話しかけてきた。終戦後、戦友の冥福を祈って2カ月をかけて遍路をしたことや、当時の苦労話を伺う。自転車散歩中の男性、ジョギング中の男性にも声をかけられ、85番八栗寺の入口まで案内していただく。今日は男性にもてた日。明日は女性にもてたいな。86番志度寺の隣り合せのお寺さんにもちゃんと参拝しました。87番長尾寺前の民宿が今日のお宿。


2月15日(36日目)
 女体山越え。最後の88番大窪寺を目指す。うっすらと雪が積もった山頂を越えて、11時近く観光客で賑わう大窪寺で納経し、長旅も終わりに近づいた。さほど感激もなく、そのままお礼参りの1番霊山寺へ向かう。途中で道に迷って、たまたま通りかかった家でおばあさんの家の樋修理をお手伝いする。国道沿いの1軒しかない宿はラブホテルだった。怪しげな照明がなかなかの雰囲気。大きいダブルベットでゆうゆうと。

2月16日(37日目)

 お礼参りの1番霊山寺には3つほどルートがあるが、名前が気に入った卯辰峠越えとする。これでうだつの上がる人生が送れるようにってかな。峠から山道に入って大麻山を越え、10時半、1番霊山寺にお礼参りをすませる。徳島市内に戻ってお世話になった人たちにはがきを書く。13枚も書いたので、夕方5時までかかった。
 
 ○月/○日お世話になった安田(無精ヒゲ、はげ、東京、歩き、順打ち)です。本日2月16日霊山寺へのお礼参りを済ませ、四国一周遍路の旅を終えました。
 前半の雨には悩まされましたが、全体的には天候に恵まれ楽しく歩くことができました。歩いている間は完全お遍路さん状態でしたが、今現在はおおむね従来通りのただの人状態で、フロ!ビール!当分歩かんぞっ!なんて何の進歩もない状態です。
 ただ、1千2百kmの長丁場とみなさんのお接待の心は私の心の奥にしっかりと残っています。ありがとうございました。
 
遍路を終えての心境は? 
 はい! 無、白、心、凡、開

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