★★★夏遍路34日間(ダイジェスト版)★★★
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◆はじめに

★パソコン教室をサボって四国一周の遍路旅。34日間(7/26-8/28)もの長期休暇。しかし、教室はカミさんが休むことなく続けてくれました。感謝。

★今回は野宿にチャレンジしました。何ごとも経験。JR、私鉄駅(10泊)、バス停(6泊)、公共建物軒下(5泊)、お堂、庵(5泊)、学校(3泊)、公園、その他(3泊)、ホテル(1泊)でした。


★背負った荷物は寝袋、着替え、雨具等を含めて約10kg、歩く距離は1日約40kmです。前半は雨で足がふやけて、足マメの中にさらにマメ、これが壊れて化膿したりの難行苦行でしたが、何とか88番までをクリアーすることができました。もうこんなことは2度とするまいと思いながら歩きました。最後に1番霊山寺でお礼参りを済ませ「ああ、これでもう今晩の野宿場所を探す必要もないのだ。」「痛い足を引きずって歩く必要もないのだ。」とふーっと気がぬけたような脱力感に襲われたのを思いだします。

★今回は今年2月義母が亡くなり、我々夫婦の両親がすべて亡くなって,
次はわたしの番ですよと自分に言い聞かせることと、我々家族が一緒に暮らして一番長かった義母の供養を兼ねての旅でした。

★お遍路の作法は、お寺さんに参拝し、太子堂と本堂で般若心経を唱えます。その後、納経所で持参した納経帳に印鑑とありがたい毛筆のサインをいただきます。この時納経料として¥300を支払います。合計約27,000円、ちりも積もれば山となるですね。

★徳島までの交通費は夜行バスを利用して、往復約25,000円(徳島ー東京間夜行バスは行きも帰りも満席、結局和歌山−東京間夜行バスと和歌山−徳島間フェリーを利用)

★食事(3食+ジュース等):105,000円(3000円*35日)ということで15万円強の費用がかかりました。家にぼーっとしていても1ヶ月の生活費として10万円かかるとすれば、安いお休みの過ごし方ですよね。(というのは今だから言える)。

★自販機のジュースには大いに助けられました。どこで飲んでもそれなりに冷たく、設定温度はきちんと決められているようですね。しかし、あの炎天下で冷たい飲み物をいただくと、電気代を含めて120円という値段は決して高くないと思ってしまいました。

★お店についてはどんな小さな町でも、美容院と酒屋さん(兼食料品店)がありました。酒屋さんは分かりますが、美容院とは、なるほどね。

★食事はコンビニ、喫茶店、食堂を適宜利用しました。喫茶店は週刊誌やマンガ本、新聞などがおいてあってゆっくりできる雰囲気のお店が多くて助かりました。
 
★野宿遍路となれば洗濯もままならず、長旅で汗臭く薄汚れてくるのはやむを得ません。これでトボトボ
歩けばますます見窄らしいことになります。「歩く姿は堂々と」を心掛けました。地元の人々に不快感を与えないためにも、早着き、早立ちを原則とし、むさ苦しい寝姿などさらさないようしましょう。

★私の場合、朝方の涼しいうちに一生懸命距離をかせぎ、日中の暑い時間(10時〜3時)は喫茶店/食堂に入って食事兼休憩をとるようにしました。そして、これまでの足の様子と次の札所の位置を勘案して、野宿の場所を決めました。起床は4時起床、5時出発、行動は18時前に終了が基本パターンです。

:駅舎内で寝るのは乗降客にとってはハタ迷惑です。やむを得ず寝る場合は終電車を待ってからにします。駅舎外の軒下、ホーム上の場合は駅舎端あるいは連絡橋の下などの暗い所、目立たぬ場所、また駅付属の自転車小屋もたびたび利用しました。早めに起床、駅舎内及び周辺を清掃してから出発します。

バス停:コンクリートブロック製の場合、昼暖まって中が超暑い。となれば、青天井を眺めながらということになります(雨が降ってきたら中に逃げ込む体勢)。寝床はベンチ、椅子の上などきれいごとは云わない、地べたにマットとシュラフです。屋根のみ4面開放型、3方ブロック前面開放型、3方窓付きサッシ型などいろいろなタイプを経験しました。当然道路に面しているので車の音がうるさいのが難点です。

学校:田舎の学校は門や校庭出入り口が開いているが、少し大きい町になると閉鎖されている場合が多い。部外者の立ち入り禁止の看板があったりする。今回は近くに駅、バス停がないなどやむを得ない場合に利用しました。外階段踊り場や、軒下などは雨も避けられ静か、かつ水道も使えるのがいいですね。

公共施設:役場、地域集会所、郵便局、00センター、公園など。役場の場合は付属の自転車置き場、駐車場など、地域集会場、郵便局、00センターは建物裏/横の軒下、公園はベンチ、建物軒下などを利用しました。
 
 マット、シュラフカバーと3季用シュラフを用意しましたが、シュラフは薄手の夏用で十分。蚊取り線香と蚊防止用に顔被覆ネット、軍手が役立ちました。


◆徳島編


7/26 中学校(1日目)
 夜行バスで寝不足につき、明るいうちに宿決めとする。5番地蔵寺を打ち、上坂町で宿探しとする。国道に面して大きなスーパーあり、そこから大きな体育館が見える。決めた!しかし、軒下は広いが、囲いがないので雨が吹き込む。足をのばしてお隣りの中学校をのぞくと、校舎軒下の通路側が互いに重なる2重の外壁構造になって雨よけにいい感じ。早速、ねぐらを移動。夜半、風雨が強かったが、雨、風の吹き込みもなく快適。しかし、出発時は土砂降りの雨だった、、、


7/27 JR鴨島駅(2日目)

 11番藤井寺を打ち、明日は山越えの12番焼山寺、距離的には少し戻るが、JR鴨島駅がよかろう。無人駅だがキオスクあり。7時半終了でだれもいなくなった。8時、ちょっと早いが駅舎端の人目につかない暗がりで就寝。しかし真夜中、突然の暴風雨だ。軒下にもかかわらず雨が顔に吹きつける。慌てて荷物をまとめて、駅舎内に避難。結局明るい駅舎内でうとうとしながら一夜を過ごす。

 
7/28 玉が峠庵(3日目)
 焼山寺越え、雨が辛いので神山町の無料遍路宿へ下りよう。そのつもりが間違えて玉が峠に入ってしまった。雨で足まめが壊れてかなり痛い。峠の庵で休みながら、地図を広げる。この先野宿できそうな大きな町まではかなりの距離だ。この庵、畳敷できれい、目の前にトイレ、水道あり。少し早いがここを宿に決定。トイレは夜間自動点灯でした。静か、熟睡できて感謝、感謝。


7/29 徳島中央公園(4日目)
 お風呂代わりに公園内のプールでひと泳ぎして久しぶりの洗濯だ。テニスコートを見下ろす屋根付きの観覧席が今日のねぐらだ。広くて快適だが、風が吹き抜けるので夜中多少雨が吹き込んできたが、無視して寝た。野球場の軒下もあったが、この時期阿波踊り練習場になっている。夜、7時をすぎるころ、人が集まってきて鐘太鼓付きで熱心に練習していた。この雨にもかかわらず。


7/30 小学校(5日目)
 明日は2連山越えなのでその手前の小学校が今日のお宿です。校庭の隅の木の下で涼んでいると、4時ごろから野球道具を持った子供達が集まってきた。野球練習が始まって、その父兄とおぼしき人たちも続々と集まってきて総勢50人程になる。のんびり観戦だ。照明が入って野球練習が延々と21時まで続く。みんな引き上げたあとの真っ暗な校舎外階段の踊り場泊。道路向いに酒屋さんの自販機あります。


7/31 大龍寺ロープウエイ山頂駅(6日目)
 足まめがひどい、この足で土砂降りの中を歩く気になれず山頂ロープウエー駅で待機。しかし、一向に止む気配がない。仕方なくふもとの民宿に電話したが、生憎満員とのこと。夕方5時、職員はお店を閉めて下山した。駅軒下には2畳分ぐらいの縁台があって手足を伸ばしても十分の大きさだ。ここに決めよう。寺の灯籠の明かり夜も点灯しているので真っ暗やみということはない。雨のため予定外の宿泊になってしまった。


8/1 JR日和佐駅(7日目)
 薬王寺、5時少し前、納経セーフ。ここ日和佐は無人駅。駅舎回りをくまなく偵察したが、安眠できそうな場所が見あたらない。ちょっと明るいが、駅舎内で練ることにする。最終列車23時42分通過を待って就寝だ。うとうとしてよく眠れない。


8/2 東洋太子(8日目)
 前回の遍路で和尚さんと世間ばなしをしたことがあった。あの和尚さんなら泊めてくれるのではないかと思った。有り難い、快くOKして下さった。ジュースとアイスクリームのお接待までいただいた。そこで、お賽銭500円をあげました。この庵の跡を継ぐという若い屈強なお坊さんが迫力あるお経をあげていた。朝、便器を壺に落とし、引き上げ清掃のハプニングあり。


8/3 法海上人堂(9日目)
 東洋太子からわずか2時間の距離、「お手伝いさん求む!」の看板に引き寄せられてボランティアすることにした。長期滞在の左官屋さん、大工さん、料理人、その他、和尚さんなど5-6名。6角形のお堂、トイレそしてロッジも作るとか。沢があって水も豊富。学生遍路さんと一緒にトイレのペンキ塗り。今日は朝からトイレに縁あり。用意していただいた朝食、昼食、夕食を美味しくいただき、テント泊。

◆高知編


8/4 芸東家畜市場バス停(10日目)
 新国道沿いに歩いたので見のがして行き過ぎてしまった。戻るのは、悔しいね。今にも倒れそうな木造小屋、広さは6畳ぐらい、前面開放型。中には向かいのよろず屋さん(夜8時まで開いていた)のものと思われる段ボールが重なって放置してある。夜雨の暴風雨にあわててとび起きてベニヤ板を入り口に立て掛ける。


8/5 西分バス停(11日目)
 夜7時着、薄暗がり、びしょ濡れ、ホントみじめな気分。ガソリンスタンド兼コンビニのまん前だ。遍路地図では4面壁ありとなっているのに屋根のみのバス停とは何たることか。夕食をコンビニで購入しながら尋ねると、50mほど先に立派なバス停があるとのこと。サッシの出入り口、やったあ、これはいいや。今夜の雨はしのげそうだ。ほっ。


8/6 ビジネスホテル(12日目)
 雨、雨、雨、毎日濡れねずみ状態で歩いている。着替えの洗濯物も乾かない、足まめも化膿して、超痛い。精神的にも少し弱気になってきた。ここらできっちりと体勢を立て直さなければなるまい。高知市内に入ってホテル泊とする。コインランドリで洗濯、乾燥を済ませて、さあ、さあ、さあ、再出発だ。


8/7 中学校(13日目)
 浦戸湾のフェリーは夏休み中。遠回りして浦戸大橋を渡るっきゃない。歩道は申し訳程度の幅、風が強くて吹き飛ばされそうだ。土砂降りの雨の中、目的の中学校を探してさまよい歩く。探し当てた学校の門にははっきりと「部外者禁の立て札」あり。校舎軒下無断宿泊、ごめんなさいです。


8/8 宇佐大橋の下(14日目)
 宇佐大橋、橋の真ん中で突然のにわか雨と暴風雨、傘の骨数本が折れてしまった。今日のお宿はこの橋の下。目の前が港なので、深夜早朝も漁師さんが出入りする。小さな祠あり、地面は玉石ゴロゴロ状態だが、マットを敷けば何とか寝られそうだ。港の明かりが眩しいので、そこにあったベンチを光よけにする。


8/9 土佐久礼駅(15日目)
 無人駅、キオスクあり。夕食は通常量の3倍はありそうな大盛りラーメンだ。敬意を表して1時間以上かけておつゆまで全部平らげる。駅前タクシーがエンジンかけっぱなしでうるさいなあ。駅舎軒下で寝たが、真夜中暴風雨で目を覚まされた。近くに並べておいた荷物まで濡れちゃって、悲しいな。明るい駅舎内に戻って眠れない一夜をすごす。


8/10 白浜駅(16日目)
 丘の上にあって、町と海岸が見おろせる前面開放ブロック作りのバス停型無人駅舎。トイレ、水道はありがたいが、すごいやぶ蚊に悩まされる。シャツの上から、顔面網の上からも容赦なく攻めてくる。長袖重ね着、ほっかむりスタイル、暑くて、暑くてほとんど眠れなかった。遠くから盆踊りの音が聞こえる。何かひとりぼっちでさびしい気分。


8/11 港バス停(17日目)
 ブロック作りの狭い入り口で中は蒸し風呂状態。陰でおばあさんがぼんやりと道路を眺めている。しばらく世間話をする。近くの海水浴場近辺をうろついて見たが、適当な場所なし、今日はこのバス停裏の青天井としよう。こんな時に限って真夜中雨で起こされる。12時15分を3時と間違えて起床してしまった。うううっ、意識もうろうとしながら歩き出したら、後を追うように大雨、その上道を間違え2時間あまりの徒労、散々な一日の始まりだった。


8/12 下の加江バス停(18日目)
 足摺岬を往復し、近くのレストランで遅い昼食兼夕食。このバス停は、前面開放ブロック作り、前を車がばんばん通る。ここよりはお向いの倉庫の屋根の下のほうが寝心地がよさそうだ。ということで、暗くなるのを待って倉庫前にお引越し。近くの郵便局の外の水道を利用させていただき、靴下を洗濯し、体を拭く。

◆愛媛編


8/13 宿毛教育センター(19日目)
 建物のうらに庭園付きお休みベンチがある。近くのコンビニで調達したお寿司弁当の夕食、そして靴下、下着の洗濯だ。しかし、大きな建物なのに、軒がなーいではなーいですか! 裏口軒下、ひとりが横になれる唯一の場所。最初バスセンターに回ってみたが、適当な場所を見つけられなかった。たまたまこのセンターの前を通ってラッキー。

 
8/14 大門バス停(20日目)
 ここは遍路地図にある通り屋根だけのバス停。雨は降りそうもないのでどこでもOK。バスがないことを確認して8時頃就寝。そばに喫茶店、ジュース自販機あり。


8/15 卯之町駅前バス停(21日目)

 よくあるパン屋さん付属の駅。夜遅くまで人が出入りしており、とても駅舎で寝られる雰囲気ではない。駅前には飲み屋さん、喫茶店など食べるところはいろいろある。ここは、国道に面した駅前バス停の方が暗くて、目立たない。車の音が煩いが、ここに決めた。


8/16 千人宿記念太子堂(22日目)
 電話で管理人のおばさんに許可をいただく。到着して、うどんのお接待、ありがとうございました。シャワーも使わせていただきました。流行の厚底スポンジサンダルを修理していた若夫婦の娘さん(中学生)と世間話をする。流行もこんなところまで。6畳ぐらいの畳敷の庵。祭壇あり、雑魚寝なら4.5人はいけそうです。久しぶりの畳で熟睡。感謝、合掌。


8/17 久万郵便局裏軒下(23日目)
 ひわた峠手前、たまたま雨宿りした家のおばあさんと世間話、残った朝食(ごはんとかぼちゃとトマト)を勧められ有り難くいただく。雨雨雨の中の峠越えと岩屋時往復は超辛かった。8時近くまで歩き通しでかなり消耗。夕食はお好焼き、お隣の駐車場が開いているので許可をいただく。しかし、荷物をデポした郵便局軒下から雨の中、移動する気力もない。建物にへばりついて仮眠といった感じで一夜をすごす。


8/18 お堂軒下(24日目)
 案内書にある御幸町のコインランドリを探し当て、着替えを全部洗濯して、ああ、いい気分。用水路わきの小さな神社の軒下に寝袋をひろげる。しかし、真夜中突然の豪雨で背中に浸水してきた。慌てて、近くのマンション地下の駐車場に避難する。昨日の疲れで熟睡。


8/19 大西駅(25日目)
 大西町に入って老舗のお菓子屋の奥さんから声をかけられる。お接待でお茶、お菓子、みかんバナナなどたくさんいただきました。ありがとうございました。合掌。駅の前に大きなビジネスホテルあり。コインランドリもありますとのこと、お遍路さん向けかな。ここの蚊はでかい。何匹潰し損ねたか(殺生はいけないんだっけ)。明るい駅舎内でよく眠れなかった。


8/20 丹原役所自転車置き場(26日目)
 足まめが痛くて途中三芳「臼井の水」でドボンしようとしたがここは水あり。ということは蚊も多そうだ。まだ4持すぎ、もう少し我慢して先まで行けば小学校があるはず。足の痛さを堪えてなんとか小学校着、近くに大きなスーパーがある。ここなら夕食、明日の朝食もなんとかなる。屋根もあるので最悪この軒下でもよさそうだ。ここはとある事情で消防団詰め所に泊めていただく。


8/21 中萩駅(27日目)
 駅前は真っ暗、何もない超さびしい駅。時刻表で到着列車がないのを確認し、ホーム連絡橋の下。湿った土に新聞紙で寝心地は悪い。今日背中に挟んでおいたマットを途中で落っことしてしまったのだ。足まめが痛くてペースも落ちた。つらい、ほんとつらい、思い出したくない一日だ。


8/22 バス停(28日目)
 バス停裏にある集会所。不在を確認し、この軒下で寝ることにする。バス停よりも風通しがよくて快適だ。ところが暫くすると人声がする。起きてみると地元の人が集まってきた。慌てて飛び起きたら、一緒にお参りしないかと誘われる。みなでお経を唱える。その後、大きな数珠をまわす。そのあと10時ぐらいまで世間話をする。お茶とお菓子のお接待に感謝。荷物を置いたバス停に戻って泊。

◆香川編

8/23 高瀬駅(29日目)
 駅近辺には高校、役場、商店街などあり、高校生がたくさん出入りしている。駅には併設のパン屋さんがあるが、御飯を食べたいのでコンビニのお弁当夕食にした。近辺を歩いて寝る場所を探したが、いい場所がない。ここは安易に駅付属の自転車置き場でおやすみなさいとする。


8/24 鴨川駅(30日目)
 予定した八十場駅はホームのみで駅舎がなーいではないですか。その代わりバス停があったが、だれか定宿にしているらしく、マットが敷いてある。ゴミも散乱して美しくないので、隣の鴨川駅まで足を伸ばすことにした。この駅の外のひさしの下が丁度いいかな。近くによろず扱いのミニスーパーが2軒あり。女性の駅員さんが7時から18時まで勤務しておりました。靴下全部洗濯したのに、朝見るとほとんど乾かず。濡れた靴下、ゴムゾーリスタイルの出発はちょっと悲しい。


8/25 高松中央公園(31日目)
 高松駅を目指す。しかし、通りがかった公園前の交差点下の明るい広場を見てここに決めた。しかし、夜遅くなっても人が通るし、きれいすぎるし(?!?)。なんと若者のダンス練習場にもなっている。雨も降りそうにないので、青天井ベンチの上に寝袋を広げる。ちゃんとテントを張っている自転車野郎がうらやましい。お向かいに24時間営業コンビニ、かつ公園角に交番あり。しかし、寝床のベンチが狭くて落っこちそうでほとんど眠れず。


8/26 集会所軒下(32日目)
 予定はダム手前の「休憩所」。しかしダムの真下、ここを下りるとまた明日上がらなくてはいけないなあ。ダム管理所向いに小学校あり、坂を登って偵察すると、車があって先生が資料の整理をしている。ちょっと先まで足をのばして。ゲートボール場の屋根付き「お休み場」。次。公民館。おお、ここは軒下が広く、コンクリート床。いいね、決めた。小学校下にあった水道をお借りして、体を洗う。濡れたパンツもついでに洗濯だ。付近にお店はない。途中で買った菓子パンが今夜と明日の食料だ。


8/27 引田駅(33日目)
 駅に着いて荷物の整理、ここが最後の宿ですね。駅はほぼ国道に面して、近くにコンビニ、喫茶店、お弁当屋さんなど沢山あります。駅前の喫茶店でうどん定食を食べながら、暗くなるまで時間をつぶす。駅前には、大きな照明灯があって、右手の自転車置き場は囲いもしっかりしていてなかなか立派な寝床です。


8/28 帰京(34日目)
 大阪峠越えで一番霊山寺にお礼参り。徳島市内に戻って、昼食を食べながら、お世話になった方々にはがきの礼状を書く。野宿の心配から解放され、気分は最高。徳島-東京間の夜行バスは満席故、徳島ー和歌山間フェリー、和歌山ー東京間夜行バスにて帰京


◆履き物1
  今回、靴は前回のジョギングシューズから少し奮発して、World March社のウオーキングシューズとしました。とても歩きやすい靴でした。
 靴下は厚手(毛糸編み)2枚、スポーツソックス2枚を用意しました。上り、下り道、靴下の厚さに応じて靴紐をこまめに調整することがマメを作らないために必要なことです。
 雨の日は足がふやけて豆ができ易いので行程を短くすることが肝要とおもいます。でも、どうしても頑張っちゃうんですよね。


◆足マメ対策
 行動中の場合:マメができたら、大きくならないうちに、針をさしてつぶす→バンドエイドで止める→その上からテープで巻いて固定。行動を終えたら、剥がして傷口をできるだけ乾燥。

 足に違和感を感じた時は、面倒がらずに靴ひもを調整したり、靴下を換える。好天の場合は靴下2足を交互に履き替えます。(片方はザックにぶら下げて乾燥させる) 足の指付け根、痛くなりそうな個所をあらかじめテープ保護しました。


 歩行終了後:マメは針をさしてつぶす→一時的にバンドエイドで止める→ひどくなければ寝る前には外し、傷口を乾燥。皮がやぶれた場合はメンソレータム等を擦り込む→バンドエイドで止める。

◆履き物2
 ゴム草履の活用:山道や雨の日は無理だが、平坦な舗装道路なら結構使えることが分かった。行程の半分近く草履にお世話になりました。少し厚手のスポーツソックスと併用することで鼻緒ずれを防止できる。格好を気にしなければ、足ムレもなく非常に快適。足裏の当たりのデコボコが少なく、少し厚手のものがいいですね。


 トンネルの中や、だれもいない山道ではなんとなく歌が出る。寂しい歌だと涙が出そうになったりする。こんな時、年を感じる。

 

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