★★★3.11東日本大震災被災地訪問自転車旅(2012年夏:26日間+α)★★★
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 今年に入って2度、3.11東日本大震災の被災地を訪問した。

 結局、自転車で走り回っただけで何のお役にも立てなかったが、被災地に思う自分の鬱な気持ちを吹っ切れたのでよしとしたい。

 夏真っ盛りの海岸線北上は、暑さと相まって体力的には辛かったが、精神的には余裕の旅だった。

 ホテル泊り、洗濯そして夕食後は自分だけの静かな時間。関係者にメールや、ハガキを送ったり、ロンドンオリンピック(真夜中)をTV観戦したり。友人知人はもちろん、自分の回りにいる沢山の人々の思いを想像し、自分なりの生き方を改めて思い直すいい機会を与えてもらったように思う。

 こんな感想を持つのは年のせいだ。


7月22日(日):初日 小山
 7時半自宅発、15時頃小山の義兄宅着。天候曇り、雨にも会わず、気温もそれなりで快適。走行中なぜか時々足がつる。

 途中マクドでコーヒー、昼食は五霞・道の駅でサラダうどん。美味しい、おすすめ。

7月23日(月):2日目 ルートイン白河
 走行中足がつらなくなったのは慣れか。気温は30度以下らしいが、シャツからパンツまで汗でびっしょり。 それはいいとしても、体力がついていかない。すぐ休みたくなる。

  ジュースの飲み過ぎて下痢気味だが、熱中症になるよりはいいでしょ。

 昼食は格安ラーメン280円 アクシデント:1時間ほどで白河っていうところでパンク。 たまたまガソリンスタンドが目の前、水をもらって1時間ほどかかって修理。 タイヤが減って穴あきすだれ状のところでしっかりパンク。

 遅れて夜7時着ってわけ。夕食はホテルでカレーライス。

7月24日(火):3日目 シルクホテル福島
 ホテル朝食後、7時出発。時に見る道路標識の気温表示は27度。昼頃福島予定のつもりが、到着は16時。

  昼食はうどんとカレーのセットだが、食欲なし、体が慣れていない、無理に押しこむ。 自転車(要パンク対策)は福島までかろうじて持たせる。

 兄家に寄って自転車屋を紹介してもらい、後輪のタイヤ、チューブ交換。今日は予約済の駅前ホテル。明日は一日休養だ。

7月25日(水):4日目 兄宅福島
 中学時代の友人と懐かしい再会。

7月26日(木):5日目 相馬ステーションホテル
 自転車の後輪タイヤ交換、チェーン給油、カバー補修などしっかりチューンアップしてくれた。自転車屋さんに感謝、これで一安心(最終的に自転車に関しては自宅までの長旅にも関わらず、ノープロブレム)。

 昨夜はサッカー「なでしこジャパン」観戦で3時就寝。寝不足のまま今朝7時出発。 山越えは自転車に乗るより、降りてひっぱりモード。午後1時頃相馬着。

 宿探し市内3軒とも満員、たまたま駅前ステーションホテル最後の1部屋、ラッキー

7月27日(金):6日目 はたごや亘理町
 岩沼手前の亘理に宿確保(PC持参インターネット予約)。 距離40kmぐらいなので遅い出発10時 それでも14時には到着、15時チェックイン。

  暑さもそれほどでなく、夕方お弁当の買い出しは橋をわたって、岩沼のイトーヨーカ堂。

 明日は石巻近辺で宿を探したが、ほとんど満杯。今年の春泊まった奥松島の民宿に電話でOK。

  この暑さ、単なる移動でとてもボランティアする気力も失せ、そんな機会もなく。 それでも自分の気持ちがふっきれればいいと自分を納得させて、走る

7月28日(土):7日目 大高森観光ホテル奥松島
 ここの食事は美味しい魚料理てんこもり。

7月29日(日):8日目 民宿南三陸町
 海岸沿いの国道45号線は上り下りが激しくて体力消耗する。自転車を引きながら、道端野宿を覚悟したが、道路沿いに民宿発見。またまた、ラッキー。

7月30日(月):9日目 峠の銭湯(床で仮眠)
 今日も昨日と同じく上り下りで体力消耗。へとへと。

7月31日(火):10日目 釜石ステーションホテル
 国道45号線はアップダウンの連続でなかなかしんどい旅に。 暑さもあり、水分補給には気を使っているが 年も年だし、1日50kmぐらいに。

 体調はまあまあ、もう少しがんばります。 ホテルは小さな部屋、古めかしい。目の前のコンビニで弁当調達。

8月1日 (水):11日目 休暇村陸前宮古
 宮古の国民休暇村陸中宮古 久しぶりのいい宿なので2泊する。14時頃入館 部屋は綺麗で気持ちいい このところ熱中症を心配しながらの自転車旅。たまにはゆっくりするのもいいことにする。

  横道から入ってきた車と接触、転倒して膝と腕をすりむいたが、軽傷。これも大事故じゃなくラッキーということ?

8月2日 (木):12日目 休暇村陸前宮古
 ちょっと疲れ気味だったのでいい休養になった。近くに周回の散歩道あり。 冷房かけて、だらだら生活堪能。部屋風呂なし、大浴場というけど部屋数の割には小さい。

 夕食はバイキング、それなりに美味しい。

8月3日(金):13日目 久慈第一ホテ
 トンネル出てすぐ左折道なり、橋をわたって駅前の小さいが清潔なホテル。今日は1日曇り空、こぬか雨。 全身びしょ濡れで雨でぬれてんだか汗でぬれてんだかわかんない。

  あす八戸は宿がとれないので、その先の民宿を電話予約。

8月4日(土):14日目 民宿小笠原
 八戸は大きな街。街なかに入ってずんずん、45号線左折すべきところ道まちがえて直進。元に戻って、45号線確認。あとはおいらせ町の民宿まで。

 食事なし素泊まり3,000円、近くのコンビニで夕食、朝食購入。

8月5日 (日):15日目 ホテル市原クラブ六ヶ所村
 平坦な道なので、お昼前に到着。合宿所みたいな作りだが、無線LAN接続可。近くにコンビニ、大きな食堂あり。

 八戸(民宿)からの道が平坦だったのと距離が50kmぐらいなので昼前についてしまいました。 宮古を出て寒い、霧雨の日が続いたが、今日は一転して晴れ 気温は30度以下なので割りと快適なサイクリングだった。

  ボランティアモードは消失。ただただ本州最北端を目指す旅に変貌。

8月6日 (月):16日目 むつパークホテル
 アップダウンもそれほどなく距離も短く快適なサイクリング。昼過ぎについて、すぐ部屋に入れました。路端売りのおばさんからトマト、スーパーでお寿司。

 小雨の出発だったが、すっかり晴れあがって気温は28度ぐらい、快適

8月7日 (火):17日目 むつパークホテル
 最北端大間崎までピストン、雨模様。休憩所で1時間ほど休憩。 インフォの女性に作成した草バッタ進呈、微かに霞む函館山が見えた。

 雨具装備、サンバイザーが役立ちました。気温は20度前後で濡れて寒い。

  夕食はスーパーで調達したおでんと焼売

8月8日(水):18日目 南部町
仕方なく野宿だが、大きな建物のひさしあり、快適就寝。南部町物産市場。トイレあり。

 トマト、胡瓜の 漬物で夕食代わり。

8月9日 (木):19日目 R&Bホテル盛岡
 盛岡駅前を歩きまわってやっと見つけたホテル。あすの宿は未定、野宿、それともホテル。

8月10日(金):20日目 ルートイン一関
 途中で猛烈な夕立。たまたまあったトンネルに入って難を逃れる。 雨上がり、見上げると、ものすごくきれーな虹に少し得した気分。

 今日はアップダウンも少なく、側道が整備され、車を気にせず、快適なサイクリンだった。

  飛び込みで入ったルートイン一関 ツインしか空いてなかったが、とれただけラッキー。8k円(シングルは5kとか)、 部屋が広くて気持ちいいーー

8月11日(土):21日目 菫会館仙台
 ホテル名はすみれ会館。東北大学北門前にひっそり、見つけるのに苦労した。

 仙台は広い、4号線から仙塩街道、市内に入るのにすっかり遠回りしてしまった。何しろ歩道はボコボコ、車道は車で走れないし。ちゃんと地図を見て、県道から市内に入ればよかった。

8月12日(日):22日目  ホテルサンルートプラザ福島
 ファミレスで休みすぎ、出た途端ににわか雨、ホテルまで濡れ鼠でとびこむ。

 少しお疲れ気味なので体調維持、2泊することにした。我が家も近い、交通事故など気をつけながら走りたいと思います。

8月13日(月):23日目  ホテルサンルートプラザ福島
 思い出の小中高めぐり。小学校には昆虫採集をしたクヌギの木がまだあって、スズメバチやカナブンが蜜を吸っていた。中学校は辛かった土手の周りのマラソンコースを眺めてきた。男子校の福高は男女共学に代わって、女性がちらほら不思議な光景。

  午後から、洗濯、昼食を食べにでて、あとはぐだぐだテレビ三昧。

8月14日(火):24日目  ルートイン白河
 出発時は雨だったが、伏拝を過ぎたころから雨も上がり気温も低め。途中東京から仙台まで歩いている学生に遭遇。東北大医学部とか、先輩としてお涙おこずかい1,000円進呈

 昼過ぎになって、暑さももどりやっぱし汗だくの自転車漕ぎ。 一応本日の目的地、白河到着。

8月15日(水):25日目  ルートイン小山
 国道4号線から50号線に入って東に向かうもそれらしき町並みが見えない。しばらくうろうろして通りがかりの男性に聞くと逆に西に向かえばいいらしい。(パンフレットの地図は旧4号線、私の走っているのは新4号線なので、逆方向西へ向かうべし)

  18時過ぎ暗くなって、ホテル着。アクシデントなければあす夕方ごろ我が家、17時ごろかな

8月16日(木):26日目 自宅
 超暑くて倒れそうだが、必死に自転車をこぐ。我が家は近い。

 おりょ、、追い越して行った栃木県警パトカーから降りてきた警察官に通せんぼ。怪しい!?荷物テンコ盛りママチャリ爺(ホームレス風)。荷物検査委&不審尋問を受けるも無事解放。


帰宅直後の荷物テンコ盛りママチャリ爺

 4号線から環状6号線は標識で確認。ここから新青梅街道、さらに青梅街道から懐かしい吉祥寺、我が家はもうすぐだ

 風呂に入って、夕食後はバタンキュー。

***5月にも被災地を自転車で走り回った。その時の記録***

5月10日(木)仙台市「ホテルグリーンウィズ」
 東京駅10時6分発やまびこ。12時過ぎ仙台着。天候曇り。地図をたよりにホテルへ直行。荷物を預けてホテル近くのレンタサイクル店へ。喫茶店に入ってコーヒーを飲みながらオーナーに聞く。店は別の場所に移動したとのこと。

 そこから北上して歩くこと30分ぐらいか。もう一つインターネットでヒットしたお店はちゃーんとあった。1週間で1,980円と格安。ホテルに戻り、近くの駐輪場を教えてもらい預ける。1日50円1泊100円。

 ホテルはWiFi無料。 「数独」を近くの本屋で入手、その後繁華街一番丁を北上、Uターンして南下。 東北大片平丁の正門にぶつかる。

 守衛はいるが昼夜通りぬけ可能。在籍した通研まで一直線。途中にある生協は昔の建物そのままだが、そばの野球で遊んだグランドには大きな建物が建っていた。通研の建物は昔のままだった。当時の通研はほかの学科の建物と違って冷暖房が入っていたのに感激した。

  西門から御霊屋橋(おたまやばし)をわたって右、昔の下宿先の路地には新しい家が。2階への階段を昇るとき壁に手をかけると壁土が崩れてくるようなあばら家だったが、学生時代9年間世話になった。

 歩きまわっての腹ごなし。夕食は王将の餃子。あすの予定は天候次第。

5月11日(金)仙台市「ホテルグリーンウィズ」
 朝食は7時から。バイキングで種類もあって美味しくいただきました。コーヒー無料、ロビーでいつでも飲めるのがうれしい。 9時過ぎホテルを出る。

 天候曇り。国道47号線塩釜経由で松島へ。途中、瓦礫、流出家屋の後などあるかと思って走ったが、全く見当たらない。 松島の観光船発着所、土産店など何事もなかったかのごとく存在していた。観光客がちらほらで活気はない。風が強くて自転車には辛いが、気温が低いのが救い。 おばやんの呼び込みでたまたま入った食堂。1500円の海鮮丼は美味しかった。

 3.11は休日前、電気が止まって冷蔵庫の食料全て廃棄とか。来る途中でひしゃげたガードレール、放置された数隻のボートなどが3.11の傷跡か。

  仙台帰着、午後4時。走行距離、松島往復約50km。

 夕食はスパゲティ。一番町、国分寺界隈は飲食店雑多。呼び込みの若者、女性がそこかしこに。それに呼応するかのように若者の集団が道の真中、あっちこっちで大騒ぎ。私にもそういう時代があったんだ。

5月12日(土)奥松島「大高森観光ホテル」
 あれ?預けたはずの自転車がない。散々探し回ったが、結局係員が「半澤自転車」の表示で見つけてくれた。自転車にはなぜかこうもり傘が刺さっていた。誰かが捨てるついでに指していったようだ。それだけで自分の自転車が見分けられないとは、年を感じた。

 自転車は内装3段切り替えのママチャリ、乗り心地は悪くない。 北西風気味の強い風、追い風。気温が低いが晴天。松島を通り過ぎて、海側の27号線に入る。ところどころ小さなアップダウンがある道だが、歩道兼自転車道は快適な走り。

 奥松島に近づくに連れ青シートをかけた家や被害にあって住人のいない空き家が目につく。奥松島の標識に従って右折するとポツンと食堂があった。津波後に建てられて地元のおばさん数名が働いている。観光客らしい夫婦の先客、1時半やっと腹ごしらえ。

  ここからダンプや車が行き交う無舗装の道になった。途中瓦礫の山があったりした。ここを過ぎると一転山間の舗装道に入る、しばらく走ってあっけないぐらいに大高森観光ホテルが見えてきた。

 風が強く、外に出るきにならない。数独などで暇つぶし。夕食は豪華で食べきれないぐらい。客人は私だけ。風呂に入る時、手の甲や首筋が日焼けのせいでヒリヒリする。

5月13日(日)奥松島「大高森観光ホテル」
 朝食は純日本風。目の前の大高森山に登ってみる、標高百数十m、眺め良好なり。風は強いが晴れて見通し抜群。

 帰りは別の横道を選んでみた。集落に出たが、通りがかりのお爺さんに聞くと、ここから海沿いに出て元の道にでるのは遠回りとのこと、仕方ない、同じ道を戻り、縄文村の道に入る。

 入館料は400円。火おこし体験150円。力よりも持久力を必要とすることがわかった。着火した炭化物が小指の先ぐらいの量になるまで回し続けなければならない。何とか着火までこぎつけ、火おこし完了証をいただく。

 このあたり唯一の食堂、お泊りのホテルに戻って親子丼。 午後は腹ごなし。

 自転車で45号線(石巻方面)まで行ってみよう。途中見かけるのはコンビニだけ。

  帰りに昨日の食堂によってコーヒーを注文したら店じまい後。奥から出てきたおばさんから昨日の進呈草バッタを覚えていてくれたらしく、教えて欲しいという。女性軍に取り囲まれ、うれしい教授。孔雀、ストローエビなどの試作も実演。興味を持っていただいて感謝です。

  相変わらず風の強く、自転車での移動はちと辛かったが、運動になった。夕食は相変わらずの魚尽くしのてんこもりを完食。

5月14日(月)石巻「ルートイン石巻」
 奥松島の宿から石巻までは約15km。好天、微風のサイクリング日和。前を行く、ご老人にどんどん離され、かつ女子高生に追いぬかれる。

 午前着。 チェックインの3時まで昼食&暇つぶし。ホテルの周りはショッピングセンター、ヨークベニマル、イオン、ユニクロ、マクド、生協、各種飲食店、ちょうど高速道路インターチェンジに位置している。この辺り海から大分離れており、震災の痕跡などはほとんどない。

 昼食はフードコートで寿司弁とマクドでカフェオレ。ストロー細工をしていたら、店員さんが声をかけてくれたので進呈。

 ホテルにチェックイン、シャワーを浴びて、港を目指すが、道を間違えて女川方面へ。夕食はマカロニサラダ、コロッケ、いなり寿司。美味しゅうございました。 コーヒー無料

5月15日(火)石巻「ルートイン石巻」
 一応朝食付き、腹ごしらえを済ませ、小雨の中、自転車にて出発。

 45号線から女川方面398号線に入る。途中、市役所に遭遇、窓口で地図を見せていただき、現在地とこれから走るルート(石巻海岸線を走って45号線にもどる。)を確認。

 396線からUターンして海岸に並行して走る県道240号線に入る。 この辺りは住宅があったであろう痕跡があちこちに、残っている建物といえば、骨格だけだったり、シャッターが建物にめり込んだままだったり。この辺り旧市内(というのかな)は海に近く、平坦なので津波をもろに受けたようだ。瓦礫もところどころにうず高くまとめられて異臭がただよってくる。

 沢山の壊れた車が山積みになっている場所もあった。 うーむ、こうして災害の現場を見て回るだけで全くお手伝いもできなくてこの東北訪問が終わってしまった。雨はしとしとジャンバーは水をすって、ずっしりと重い。

5月16日(水)自宅
 仙台まで戻る。格安自転車屋さんに感謝。感謝の印に、石巻産のフカヒレラーメン進呈。

 新幹線で帰宅、夕食前自宅着。

 

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