★★★日本縦断(2008年夏:47日間)★★★
(→独り旅の記録Topに戻る)

 大学生になり立ての頃、東北一周を計画したが、ホームシックと漠然とした旅の不安で断念した。ひとり旅する勇気がなかったのだ。社会人になってからは、家族もできてそうする環境でもなく、生活に追われて今に至る。

  リタイアして「脱ぬれ落ち葉=ひとり旅」を続けるうちにこの一時挫折した長いひとり旅をやってみようという勇気が湧いてきた。日本縦断の自転車のひとり旅!とすれば、すでに66歳、体力気力的に今しかない。

 


自転車による日本縦断の旅

 東京の自宅から北海道最北端:宗谷岬にタッチ。南下して九州最南端:佐多岬にタッチ。あとは四国を経て東京の自宅まで。観光なし、雨、風に関わらず走行(1日100km以上)、宿泊は幹線道路にある「道の駅」(寝袋泊)という大まかな計画。

 自転車は通学通勤用内装3速切り替え。前後に荷物カゴ装着、走行距離計、空気入れ、バックミラーを付けてもらった。スタンドは停止時倒れないガッチリしたものに変更した。荷物は前/約2kg、後/約5kgってとこかな。


無事帰還を果した我が愛車の勇姿!!!

なお、本旅行記は日記メモ紛失(奈良市駅前電話ボックスに置き忘れたような気がする)につき、間違い、勘違いの記述があるかもしれません


最北端、最南端到達の証
 写真もないし、証になるものが何もない。ということはホントは行ってないんじゃないのと言われても返す言葉がありません。といいつつもそれなりに状況説明をさせていただけば。

 
最北端:自転車野郎たくさん、大型バス数台、観光客ぞろぞろ、天気良好なり。最北端食堂(という名称だった?)に入ってアジフライ定食を食べた。裏手のススキで草バッタを作ったり、ユニット折り紙「マジックローズ」をウエイトレスのお嬢さんに進呈したりした。

 
最南端:天気良好なるも最北端に比べたら観光地の面影全く無し。途中入るべき道を山側に選んで到着した時は、暑さと疲れでバテバテ状態。訪問客は、自転車野郎一名、バイク野郎数名、車数台。岬展望台は有料(300円)、物的証拠はこの入場半券。


自転車(3速)走行感覚
 その1 最速:この早さで走れる幸せを体一杯に感じて、自転車が倒れないようにハンドル操作してるだけ、足は雲の上を歩くように自然に回転、私は自転車に乗せられている、ありがたいことである(焦って自転車を漕いでいた前半/北海道、本州から、後半/九州、四国に入って、無我の境地に近くなってきた)

 
その2 中速;向かい風、あるいは若干の上り坂。追い風の時もあれば向かい風もある。走っていれば地形が変わる、地形が変われば、風向きも変わる、この走りなら距離もそこそこ稼げるハズ。上り坂なら、先には下り坂が待っているハズ。この走りなら許せる。

 
その3 低速:辛い、汗が滴り落ちる、降車すべきか、乗り続けるべきか。これは修行だ!!

 
その4 降車:この坂を上りきったら休もう。上りきったら大福食べよー、ジュース飲もう。上りきったらトイレだ。先を読めば、辛さも救われる。これも修行だ!!


自己破産おじさん
 雨上がり、向こうから歩いてくる荷物を背負った薄汚い中年男性。薄汚いもの同士ゆえ当然気になる。自転車を降りて、私「やあ!どうも、、、どこから?」、彼「今朝、佐伯市(大分県)からずーっと歩いてきたんだ」、私「たいへんやねー」、、、、彼「ところで食料あるんだ、これあげる」、私(おー、なんて親切な、当方も何かあげなくてはと思ったのだが、、)彼がくれたのは、雨に濡れてぐちゃぐちゃになったフライドポテト。

  「食料はコンビニのゴミ箱調達、お金は自販機回りから調達の無銭旅行さ!」(わおっ!!了解)半分程食べたが不味いので、結局廃棄処分。

 彼曰く、自分の借金癖で奥さんと離婚、娘二人も独立したし、懺悔の旅ってことらしい。自分が今一番大切にしているのはこれ、と見せてくれたのは、彼が歩いた地図上の赤い軌跡と所々に貼ってある小さな夕日や風景写真。「これはオレの歩いた跡とデジカメで撮った思い出の写真集さ」「えっ?」「カメラ?質に入って今ないんだ」。

  さらに続く彼の話、「オレの夢は小金を貯めて、3億円に増やーすっ。秘策は、、、、競馬で、、、、」「?!」「1億円は元カミさんに、5千万円づつ娘たちに、残1億円はオレのもの」だと!?「娘に2億円あげて0から再出発しなさいよ」と応じたが、悲しい人との空しい会話。


「道の駅」のお客さん
 「道の駅」のメインの宿泊客といえば、まずは、長距離トラック達。車内にしっかり寝場所を確保して悠々と寝ている。うらやましー。暑い時にはクーラーを使用しているせいか、夜中もエンジン音が響く。きつい仕事、つかの間の休息か。それにしてもうるせー。

  次の上客は中高年「道の駅族」。露店のおじさんの話によれば、2、3日車中に寝泊まりして、近所の温泉地や観光地を巡り歩くそうな。それらしき夫婦連れをよく見かけた。「うちのカミさんと一緒の自転車旅行ですか?えーとそれはないでしょ。」


歩き遍路さん
 四国に入って時々「歩き遍路さん」を見かける。その度に自転車を降りて、お接待100円玉を手渡す。しかし今、考えるとケチやねー、100円じゃあジュースも買えないよ。200円あげればよかった。ハンセー。


トンネル
 トンネル両脇の歩道は一段高くかつ一人がやっと通れる幅。縁石もボロボロに崩れて側溝の蓋の上が歩道。おまけに、泥と漏水とでグチャグチャのところもあり。大分県津久見市から臼杵市「国道」なのに。トンネル内車道約3kmを突っ走る体力&気力なく、1時間弱を歩く羽目に。ペダルが接触して雨具は汚れるし、歩道から車輪が車道に外れそうになるし、クソ、何とかしてくれー、やけっぱちで自転車をひく。

 目の前の道路の先には上り坂が待っていた。トンネルの入口も見える。降りてトンネル入口まで汗びっしょり、、自転車を引っぱり上げる。がーん、、「歩行者、自転車通行不可」のでっかい看板あり。早めに教えてよ。せっかく苦労して上った坂を泣く泣く下るが、迂回路の表示はない。適当に見当をつけ、横道に入り、しばらく走って出会った人に聞いてこの道でOKらしい。ラッキーと思わなくてはいけない。これも修行だ!

 

なぜ危険な車道を走るのか
 国道には交差する様々な道がある。横から入る道に対応して歩道には区切りの縁石があり、これを越える時の衝撃が自転車野郎のお尻にはとても辛いのだ。ゆっくり走っている分には気にならないが、ある程度の早さになるとこの縁石を乗り越える時の衝撃が自転車の車輪がひん曲がるのではないかと思う位大きい。

  この縁石の高さに基準はないらしく、最新の道路でも段差なしから数cmとさまざま。全く歩行者のいない、幅広い歩道を横目にみながら、車に怯えて車道を走る。


食事はファミレス、大型ショッピングセンンター
 良く利用したのが、ファミリーレストランの「ガスト」と「ジョイフル」。「ガスト」は東北から中国、四国にかけて、中国、四国、九州、南の方は「ジョイフル」が多い。どちらもカフェバーがあって、200円前後で飲み物飲み放題がついているからだ。

 
数時間走れば喉が渇く。食事と一緒にジュース、カフェオレ、ココアそれぞれ2,3杯計10杯ほど、1時間位休憩を兼ねてゆっくり飲む。ヒマつぶしに折り紙や草バッタを作ったりする。そこで、かわいいウエイトレスさんと臨時会話できる場合もあるのさ。

 郊外大型ショッピングセンター。店内に休憩所があってお茶や、冷水が無料で利用できる。お弁当や飲み物、果物、お惣菜など好きなものを買ってそこでゆっくり食べる。

 道の駅によって、食堂があったりなかったり、閉まる時間もまちまちである。道の駅解説本で確認できる。夕食が食べられそうにない時は途中調達しなければならない。お弁当屋さんだったり、コンビにだったり、調達できず、非常食に買い込んだ大福一個やトマトだけという時もあった。何も用意していない場合の非常時?は自販機のコカコーラ。一時的とはいえ、満腹感が得られる。

 

パンク3体験
その1:最初のパンクは北海道。海岸沿い、長い下り坂を経て、小さな町に出ました。食堂での昼食を終えて、いつものようにタイヤを点検して、ガーン、、、あっと驚くタメゴロー、確かに空気が抜けている。虫ゴムを交換してもだめ、明らかにパンク。
  食堂に戻って店員さんからバケツと水を借りて何とか修理を終える。修理のゴムパッチや虫ゴムなどは用意していたものの、その他の用具を準備していなかったことに戸惑いました。山の中でパンクしたら困るなあ。。

その2:2度目のパンクは新潟県:三条市を出て早朝6時、困っちゃうなー。オロオロしていると道の向こう側に散歩中の男性約1名発見(救いの神)バケツと水の調達について尋ねると近所に豆腐屋さんがあるとの情報。
  さっそくその豆腐屋さんを訪問する。ご夫婦で働いていいるところ、親切にバケツと水をお借りできた。出来立ての豆腐をご馳走になった、その上「バケツ必要でしょ、持って行きなさい。」との申し出に感謝、感謝。

後日談 九州最南端:佐多岬をタッチして、日本縦断を達成。その報告を兼ねて、その晩お礼のハガキを書いた。旅行から帰ってきて1ヶ月程したある日、そのお豆腐屋さんから「あぶらげ」が送られてきたのです。
  ご親切を受けた上に、このような珍しい食べ物をいただき恐縮しています。上記の話を添えてご近所のみなさんにもお分けしました。その親切なお豆腐屋さんは下記です。

  厚手のあぶらげ!美味しいですよ。この手記を読んで興味を持った方は、ぜひ注文してあげてください。


越後栃尾名物「めぐろあぶらげや」
〒954-0111新潟県見附市今町5-43-40
電話/FAX 0258-66-7127

送料(クール便)25枚まで850円/26-45枚1060円/46-60枚1370円
1枚200-300円(インターネット調べ)

その3:3度目のパンクは宮崎県。南国市へ向かう途中、雨中の道路工事現場を交通整理の兄ちゃんに急かされて、ドロドロの脇道を遮二無二に通り過ぎた後でした。ずーっとあのバケツを持っていたのでパンクに対しては準備ができているわけで心強かった。
  憎いアンチクショー!!しばらく自転車をひっぱって、道沿いにあった公民館で水を調達、雨の中での修理。チト辛いが、これも修行だ!


のんびり泊は計4日
北海道稚内にて民宿2泊:民宿「ミント」。以前、タイからの留学生をお世話したことがある。彼女の呼び名(愛称)がミントだったのでこの宿に決めた。女性オーナーで建物、内装も凝っていてなかなかの雰囲気。この地に出張工事に来ている男性7、8名の団体さんが宿泊中。

  「へー、その年でよくやるねー。」軽くジャブをかまされた。宗谷岬にタッチして一安心、英気を養うため2泊。中日は近くの何とか温泉でのんびりいー。3日目、ずーっとこの状態でいたかったが、泣く泣く出発(せねば!!)

兵庫県豊岡市にて民宿1泊:四国沖台風接近通過とのニュースあり。土砂降りの雨の中で野宿はイヤッ!とーころが、朝から曇りで雨もなく、拍子抜け。四国は雨だったようだが、裏日本まで影響せず、ラッキー!

 しかし当日、途中国道バイパス自転車不可故、やむなく県道にに入らされる。峠越えがきついのなんの、おまけに峠で一息ついたのはいいが、注意力散漫につきその場で荷物の上においた帽子、タオルを落下紛失。ラッキー&アンラッキー=帳消し。

奈良の息子のアパート2泊:息子の手料理、かつ彼の布団占領。親父気分満喫。休養十分。アリガトネ。

健康だから走れる。無事家に戻ってこその旅。「健康に感謝!無事故の旅!」その他、思い出すこといろいろ!


雨具盗難
 雨中を走って、JR駅「西那須野」今日は駅寝、雨上がりバス待ち椅子で寝袋を広げる。雨具は自転車のハンドルに引っ掛けて干しておく。真夜中に再び雨が降り出したが、ただただ惰眠に徹する。

  早朝4時起床、自転車小屋に戻って「ありゃー、干した雨具がなーい!」ではないですか。吹き飛ばされて落ちたのかと辺りを探すが見当たらない。昨夜の突然の雨で誰かが拝借していったらしい。他人の汗臭い雨具を着ていくとは、よほど切羽詰まってのことでしょう。東京を出て2日目のトラブル。必需品故なしでは済まされない、8000円の臨時出費。

トマトX2
 北海道:道の駅「らんごし・ふるさとの丘」野菜売りのおばさんが店じまい中。食堂もとうに閉まっていた。仕方がない、夕食代わりにトマト3個入り1袋100円を買い求める。「今日は終わりなので、もう1袋サービスよ」「えっ、いいんですかあ」(ありがとー、うれしー)おばさんが去った後の庇の下が今日の寝床。


北海道、JR「増毛駅」(ぞうもうえき?)
 JR「増毛駅」は、小樽から北に伸びる終着駅。駅舎が広く、引戸で外界とは遮断され、風の吹き込みなく寝心地抜群だった。散歩がてら立ち寄った近所の人たちに「今晩お借りします」「何処から来たの?」「あーら、そんなに遠くから。」暖かい会話にホッ。駅名は願望にぴったりの「ましけ」と読みます。

 

超遠回り
 夕方ほぼ6時、室蘭着、目の前の白鳥大橋を渡ればフェリー乗り場はすぐそこ。明るいうちにつけそうだと思ったのだがあー。懸念した通り、大橋入口には「通行人、自転車不可」のでっかい看板。約10km(1時間強)遠回りせねばならない。


  街中に入って日も落ちて暗くなった道が不安を倍増する。フェリー乗り場までがグニャグニャ道、ガソリンスタンドや、通りがかりの人に聞きまくってやっとついた時は8時を過ぎていた。しかし、函館行きフェリー出航時刻が11時、まーだ余裕、余裕っていうことか。

 人が通れない幹線バイパス、トンネル、橋を目の前にするたびに、うーん、くやしいけど仕方ないのかね。

高速道路侵入
 国道ずんずん新潟市街もそろそろという時分、なぜか道なりに走ってバイパス高速道路に侵入してしまった。えーい、イケイケドンドン。びゅうびゅん追い抜いていく大型車に怯えながら走ること30分ぐらいか。

  「そこの自転車左に寄ってー停止ー」「おりょ?」・・・後ろにパトカーがピッタリ・・・「自転車が邪魔ーって、ドライバーから苦情電話がばんばんきてるのヨ、即下に降りて!」「はい、はい、ごめんなさい」

 
高速を降りた後が困る????状態なのだ。おおまかな地図しか持ってないので、次の目的の幹線道路にでるのに四苦八苦する。手当り次第に聞き回ってやっと到達。これも修行だ!

 

駅前交番
 夜も9時を過ぎたし、そろそろいいかな。新潟県:燕三条駅、建物の庇の下に寝袋を広げ潜り込む。「もしもし!」「むむ?!」(数十m先に無人交番があるので安全!と思って選んだのだが)私を見ていたタクシーの運転手連がご親切に警察にお知らせしたらしい。お巡りさんとしても注意せねばということでしょう。

  「この先に数千円で泊まれる健康ランドがあるので、、、、」「はい、イドーしますっ!」無論!国道沿いに無料寝場所を探す。今日は雨の心配なし。

鳥取県、道の駅「神話の里白うさぎ」
 一応名物「白うさぎの三段跳び丼」を食べました。まっ、名物にうまいものなしっていうこと。

耳より情報
 道の駅(どこだったか?忘れてしまった)付属の温泉に入っていいい気持ち。建物の回りは一段高く総板張り床になっているし、軒下も広く寝る場所には困らない。

  さーて、どこで寝袋を広げようかと迷っていると、おじさん約1名が近寄ってきて曰く。「ここは蚊が多いからね。」「どうしてでしょ?」「この板張りの下はコンクリートで水たまりがあるわけよ。そこで蚊が発生するのさ。」「貴重な情報ありがとうございます。」早速蚊取線香を使わせていただく。

 

関門トンネル
 エレベータに乗って地下道へ(通行人無料、自転車20円也)。トンネル道は通勤、朝の散歩風の中高年男女などチラホラ。いよいよ九州だ!自転車に乗ってスイスイと思いきや、みなさん自転車を引いて歩いている。マズイ!慌てて自転車を降りる。数分で九州についてしまった。あっけない海峡通過。

ありがとう、無料弁当おじさん
 福岡県:道の駅「しんよしとみ」にて。到着が遅く、生憎食堂は閉まっていた。回りを見わたすと私と同じ軒下居人1名発見!(てか)。「あの照明はずっーとついてるから、こっちの方が暗くて寝るのにはいいの。」「あそこは夜中に自販機を利用する人がいるんでうるさいのヨ。」常連さんらしく、親切にいろいろ教えてくれる。感謝、感謝。

  「ところでアンタ、飯食ったかね?」「えっ、食べてないの?じゃあ、これ食べなよ!」「(多少戸惑いながらも)いいんですかア」「ここのお店の人とは知り合いなのさ。タダで余った弁当を貰ったんだ。遠慮すんな。」「では、いただきます。」一応300円の値札が付いているのを見て、払おうとするが、受け取らない。じゃあ、お茶かコーヒーでもとフェイントをかけても、いらないと頑なに断る。(怪しい!貴重品には気をつけなくっちゃ。睡眠薬かなんか入ってんのか?)と疑いつつ、貴重品をしっかり抱えて、寝袋に潜り込む。

  翌朝5時起床。いつの間にかかの無料弁当おじさんは消えていた。「時々街に出て気晴らしして、またここに戻ってくるのさ!」と言っていた。しかし、戻ってくるまで待つ余裕はない、出発せねば。「申し訳ない、疑ってごめんなさい、ありがとうございました。」

 

猫と日本人
 宮崎県:シーガイア近辺のバイパス道サービスエリア泊。このエリアに住み着いている猫数匹がうるさい。ミャーミャーと馴れ馴れしく餌をねだって近寄ってくる。無人の真っ暗闇、そこかしこでミャーミャーいうのはちと不気味ではある。非常食は食べられないように自転車カゴにしっかり納めて眠りにつく。捨て猫はやめましょう。

 翌朝、
自販機前で車泊のご夫婦と世間話。カラオケ屋さんの雇われ店長とか。人を使うことの難しさを吐露していた。特に、外国人(韓国人、中国人)を使うのは難しいらしい。気配りがない。言いつけたことしかやらない。時間を守らない。勝手に休む。要望をいうと、賃金上乗せを要求する。などなど。結局、無理しても日本人を雇うことになるとか。

 
文化の違いということもあるが、この類いの話を聞く度に日本人の勤勉さ、気配りは、かの国の人たちにはないものとして誇っていいと思う。みんな一緒で個性がないという批判もあるが、それも国力(経済力など)に寄与している。他国に無いもの、平和憲法(第九条)ともども絶対失ってはならない、私の心のよりどころでもある。すみません固いこと言って。

 

日本縦断祝い
 佐多岬にタッチして今日の寝場所は鹿児島県:道の駅「根占(ねじめ)」。道の駅のおばさんにヒマつぶしに作った草バッタを進呈したら「すばらしー」と喜んでくれてゆでグリの差し入れを頂いた。さーて日も落ちた、店先の庇の下に寝袋を広げる。

  するとブーンと車の音。ここにはサーフィン講習担当の若者が別棟に常駐している。彼らに食料を差し入れにきたらしい。新鮮な魚や野菜など、うらやましーなーと指くわえ状態の私に、さっきのおばさんが超々うれしいプレゼント。裏手の有料の宿舎を私の日本縦断修了祝いに無料提供してくれるというのだ。台所付き10-20人は泊まれそうな大きな宿舎を独り占めすることになった。

  ところで、お礼をどうしようか散々悩んだ。翌朝、手持ちの折り紙30枚で作ったおおきなくす玉を玄関に
おいて出発した。ありがとうございました。

自転車道注意
 北九州本島最南端「佐多岬」は海岸沿いの道を通ればよかったのに何となく有料道路みたいな守衛小屋のある右側の通りを選んで失敗。ものすごい上り道とものすごい下り道、、もうーやんなちゃった。帰りは途中から車がでてきたのでその道を入ったら海沿いの道にでて、楽ちんだった。
  佐多岬への自転車は守衛小屋のところで、左側海沿いの道を選ぶべし。


ボランティアの鉄人
 九州最南端:佐多岬にタッチして次の日、宮崎県:南郷町までは雨中走行になった。荷物も体も濡れ鼠で、もう走りたくない。今日は南郷町で駅寝に決定。
  夕方になって、列車待ちのおじさんが話しかけてきた。隣駅までの列車を待つ間、ずーっと演説が止まらない。

  朝起きてから、夜寝るまで町民のための困りごと、よろず相談を一手に引き受けている。仕事人間だった数十年前、町唯一の電器屋をやっていて当時は冷蔵庫、洗濯機が飛ぶように売れたという。そのお礼のつもりで、今はこの仕事に全精力をつぎ込んでいるという。
 「ボランティアの鉄人」、現地では有名人らしい。

 

うるせーやつら
 和歌山:道の駅「紀ノ川万葉の里」夕方暗くなって寝袋に潜り込む。しばらくして若者数名が車を連ねて集まってきた。スケボー野郎が大集結。突然回りで、がらがらどんしゃんうるせーのなんのー。言いがかり付けられると怖いし、無視して寝たふりだが「ヤロードモー!安眠妨害すんな!」ほんとは怒鳴りたい。


日本縦断を達成し嬉しかったので、「ブリジストン自転車」に下記メールを送信しました。(他意はありません)


2008年8月24日東京発、同年10月9日東京着(47日間)間の自転車の状態について
身長:165cm、体重:58kg 荷物:後方籠/約5kg前方籠/2kg


1 鍵について
 後輪、ハンドル固定部の鍵が差し込みにくい。暗がりで操作するとき手探りでなかなか差し込めなくて困った。

2 ハンドルについて
 ハンドルは無給油20日過ぎ位から、運転中ハンドル操作時、突然の軽いロック感があり、危険を感じた。前輪鍵穴への給油後改善された。
 ハンドル高さは一番低く設定したが、もう少し低くできたらいいと思った。(身長:165cm)

3 ブレーキについて
 前ブレーキは再調整なしで最後まで十分機能した。
 後ブレーキは5日前後でワイア伸びあり、再調整後は最後まで安定して機能した。
 後ろブレーキは高速時に前ブレーキは停止時によく機能した。
 後ろブレーキは高速時によく機能し、音もなく快適な使用感であった。
 前ブレーキは気温が高い時、一時ブレーキゴムが前車輪に糊状にこびり付き、異様な音がするようになった。こびり付いたのり状物をタオルでワイプすることで解決できた。これは、一度だけだった。

4 ライトについて
 トンネル走行時など自動点灯は確実に機能した。

5 チェーンについて
 チェーンが少し伸びて速度切り替えワイア部に接触するようになった。ワイアをずらすことで解決した。
 雨中走行後はタオルでチェーンについた泥を拭き取り、給油した。

6 全体清掃
 清掃は早朝出発時や昼食後、夕方などほぼ一日一回を原則に車輪カバー全体をタオルで拭いたり、前後輪の車軸部の泥を拭いたりした。給油は上記チェーン部、ハンドルブレーキ部、前輪後輪鍵穴、手元速度きりかえハンドル部、自立スタンド回転部など

7 パンクは3回経験、修理した
 1細いピアノ線のようなものがタイヤを貫通していた。
 2ゼンマイバネの一部(2mmぐらいの円筒状物体)がタイヤに突き刺さっていた。除去後タイヤに2mm位の小さな裂け目が残ったが、その後そのためのトラブルは経験していない。。
 3何が原因か不明、チューブ横面に小穴ができた。

8 給気について
 前輪は5日目頃給気後、残40日近くそのままで減圧もなくOKであった。
 後輪はほぼ5-10日目位に減圧を感じるごとに給気した。
 長時間走行後は給気部ネジが緩むこともあるので逐次確認しながら走行した。

9 走行メーター(オプション)
 車輪取り付け磁石がショックや軽い草木との接触て回転しやすく、測定不能状態を何度か繰り返した。
 長時間走行の振動でメーターの取り付けロックが外れることを数回経験した。
 トータル距離値:5568km

10 自立スタンド(オプション)
 自動ロックは10日ほどで機能しなくなったが、給油で回復した。

11 給気ポンプ(オプション)
 ポンプハンドル部に水が溜まった。
 給気穴固定バネ部のサビが著しい

  以上

(→独り旅の記録Topに戻る)