★★★サンパサック訪問は心に残る旅だった(2006年夏)★★★
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 タイサンパサック村訪問:バンコクからパヤオまで夜行バスにて早朝着。パヤオのバス停で待つこと6時間、インターネットで予約したにも関わらず、迎えの人物が現れない。トホホノホ、ハイ、途方に暮れる。 ステイ先の住所、氏名の紙切れ一枚が頼り。直接押しかけるっきゃない、その辺にたむろしているバイク野郎に交渉、120Bにてインターネットメールで貰った住所を頼りに彼の村に押しかける。なーんと、両親とも不在だって。小六の娘(日本語OK)が対応してくれた。ありがとね。夜、両親(父:日本人、母:タイ人)が出先から帰って来た。里子の卒業式だか入学式だかで遠方に出かけていた。数ヶ月前の私のメールの迎え依頼だったので、来ないと思った!とかで軽く無視されました。それはないよなー。納得できるわけないでしょ。

 

 左:ステイ先の家、中央ゴザを敷いてこの家の家族が食事中、左手大看板にはエイズ撲滅キャンペーンの日本語。この辺りでは、先進的な建物(日本の田舎の家の感じ)。右手白い建物の2階の部屋に1週間程滞在。(普段は小学生の娘の部屋らしく勉強机あり。シャワールーム:2階)。家族はいま敷物の上で食事中。手前黒いのは寝転がってる犬。左手の家壁には地球環境を守る会として、植林活動、エイズ撲滅、(麻薬撲滅はトラブル(身の危険)を感じて削除したとのこと)のキャッチコピーの看板
  右:少しひいて撮った写真。食事は木の向こう、大きな柱の下に見えるテーブル、椅子でこの家の主(日本人)と一緒に食事しました。右裏手が洗濯物干し場。奥さんが日本人向けの食事内容に気を使ってくれた。

 

 

 この界隈の家のほとんどはこのように高床式で床下が物置。家の前の通りは一応舗装されている。牛を飼っている家はお金持ちらしい。

 ステイ先の目の前にある小学校。ランプータン(果物)を寄付するというので一緒に訪問。飛び込み授業でオリガミ指導、竹とんぼを飛ばしてみせた。お寺と学校には村民共通の思いがあるという。お寺、学校には寄付をした

 

 この家(将来果樹園を開く予定)のシンボル的建物、エイズ患者がたてたという「六角堂」。当初はエイズ患者をこき使っていると批判されたが、完成が近づくにつれ、彼らの生き甲斐を提供したとして次々死んでいく彼らにむしろ感謝されたという。果樹園の真ん中に建つ。
  六角堂内部、風が吹き抜けて居心地抜群。数十人規模の宴会、村民集会も開けるぐらいの広さあり。近くの農業大学の先生方とここで宴会をしたり、彼が放浪の末、ここに居着いたわけなどを伺いました。風が抜けて気持ちいい、日がな一日ここで過ごした。

 

 この六角堂の下方向の凹地に造成中の湿地植物池の造成現場。水ホースで水平をとったり、土を掘るのを少々お手伝いをした。回りに水をはって、中央に湿地植物を植えるのだとか。水入りの透明ホースを使って周辺の高さを定めるなど基礎測量しながら工事を進める。

 

 ミント家訪問:バンコクに戻り、ミント家を訪問。アジア大留学生のミント(週1位の割合でわが家で食事)の実家。ルンピニー公園前で彼女の父親(車)と待ち合わせ、言葉が全く通じないので困ったネ。確認は「ミント!」「ミント?」「ミント、OK?」我が方のあまりに汚い格好にビックリ、シャツと短パンを貸してくれた。3泊した。

 

 ミント家の長女が酒屋を開いているナコンパトム。バンコクから車で1時間ぐらいだったような。次女はスチュワーデス。3女のミントは日本語学校(ナコンパトム付近に建設中)を開く予定。4女は大学受験勉強中というオール女性家族、全員未婚(親父さんが厳しいらしい)。親父さん、おふくろさんは長女の酒屋を手伝ってといるいうか指導してる。カンチャナブリを案内してくれるというが、すっぽかし自由時間で街中を放浪した。街中を流れている川と川沿いの露店。

 

 バンコク市街からちょっと離れた、ドンムアン空港近くにあるミント家。白亜の殿堂、お金持ち数十世帯が鉄条網で囲まれ、24時間警備員。車、人の出入りにチェックあり。プールやスポーツジムもあっていつでも利用できる。

 

 今家にはこの2台だが、全部で10台はあるとおっしゃっておりました。家から目の前の池にはこんな木の廊下で結ばれている。ところで彼女は今この家に戻っている筈、父親が開くという日本語学校のお手伝いをすることになるようだ。

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