★★★動物写真家のサファリツアーに参加★★★
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マサイマラ国立保護区:格好良いチーター

◆カルチャーショックを受けたナイロビ

 7月23日〜8月3日までの12日間、アフリカのケニアでサファリを楽しむ旅行に参加した。動物写真家として有名な「平岩道夫と雅代」の父娘が年に5〜6回主催しているサファリツアーである。今回で何と119回目になるという。

 10年以上前からこのツアーのことは知ってはいたが、費用と日程でなかなか踏ん切りがつかないでいた。ところが、友人のNさんに誘われて、なんとなくOKしてしまった。

 事前に参加者と平岩ファミリーの顔合わせ昼食会と、多摩動物園での動物写真の撮り方説明会があり、出発迄には遠隔地に住む一人を除いた8名は顔なじみになっていた。

 昨年末、NHKラジオの『ラジオ深夜便』で平岩父娘の話を聞いて参加した金沢市の主婦や、7回目の参加となる72才の方もいた。参加者9名と案内役兼プロのカメラマン2名の総勢11名という小さなツアーであった。

 南回り便を利用するとマラリヤの予防注射をしなければならないので、ヨーロッパ経由(アムステルダム乗り換え)で合計20時間という飛行時間をかけてナイロビに早朝に到着した。

 タイのバンコクと同様に、排気ガスがひどく充満しているナイロビには、信号が数カ所しかなく、それも殆ど機能していないので、交通渋滞がひどかった。

 ケニヤ人は1時間くらいは歩くのは普通ということで、道の両側には仕事に向かう歩く人、人、人。スリムな体でスイスイと歩く様は格好良い。

 ナイロビを中心に3箇所の動物保護区を訪れたが、途中の道の悪さには参った。昨年行ったスペインの巡礼路と同様に、パウダー状の細かい土は乾いていると猛烈な土埃となり、雨が降るとたちまち水捌けしにくい粘土状になって、吸い込まれることなく川となる。

 少ししかないアスファルト舗装は薄い作りなので直ぐに凸凹になってしまう。そんな道を延々と半日かけて保護区に行っても、サファリ道は当然舗装されていなく、全行程2,450キロのガタガタ道を走破するという過酷な旅行となった。

 とはいえ、本来の目的であるサファリは感動の連続であった。

 初めに訪れたアンボセリ国立公園では入園(一人一日40ドルx滞在日数という高い入園料を支払うゲートがあるだけで、フェンスなど無い)して直ぐにキリンを目撃。ロッジ近くでは象を暗闇の中で発見と早くも動物見物三昧になりそうな予感にワクワクした。

 サファリを初めて直ぐにシマウマやヌーに遭遇。車を止めて写真をパチパチしたが、そうのうち何時でも何処でもこの2種類やガゼル、インパラなどの草食動物には頻繁にお目にかかれることが分かり、またシマウマ、またヌーと言い出し、写真を撮るのはパスするようになった。

◆野生動物をまじかに見て

 やはりなんと言っても迫力があるのはライオンやチーター、ジャッカル、ハイエナである。これら肉食獣はサバンナの草原の中では保護色で見つけにくいので、驚異的な視力の持ち主であるドライバーが教えてくれる。凸凹道を運転しながら動物を捜す技術(能力?視力?)はスゴイ。「あそこにいるよ」と教えてくれても「どこどこ?」状態。我々が見つけられるのはキリン、象、ダチョウ、サイなど大きくて特徴のある動物に限られる。

  
アンポセリ国立公園:象の家族を間近に ナクル湖国立公園:サイの赤ちゃんが可愛い遠くにフラミンゴの大群


 ナクル湖ではフラミンゴとペリカンの大群、サイの親子、30頭も行進していたキリンを見ることが出来た。ピンク色の美しいフラミンゴは、車から見ている限りどんなに近寄っても動かないが、車から降りて歩いて近付いていくと、歩いた分だけどんどん遠ざかっていく。それもパッと飛び立つのではなく、静かに移動するので、いつまでたっても近撮ができない。それではと、湖の畔にフラミンゴの羽が落ちていたので、お土産にしようと拾ったら、平岩氏に国立公園からは何物も持ち出してはいけないときつく注意されてしまった。

 チーターや象、キリンが我々の車のすぐ側を通りかかった際は、緊張すると共に感激したが、3頭のライオンが1mも離れていない所で喧嘩と咆哮をした時には全員が固まってしまった。それでも窓やルーフからじっくりと観察できるのがサファリの醍醐味といえるのだろう。

 マサイ・マラ国立公園でヌーの大群が川渡りする有名な地点に行った。ヌーが渡るのは来週あたりになるとドライバーが言う。対岸にはヌーではなくシマウマがひしめき合っていて、もうじき渡るよと教えてくれる。

 待つこと数分、ドライバーの読みが当たり、シマウマが川を渡りだす。昨日のスコールで水流がかなりある。ヒーヒーと鳴きながら次々に川に飛び込み、こちら側に泳いで来る。中にはアップアップして諦めて戻るのもいる。すると群れは渡りやすそうな場所に移動し、また川に飛び込んで渡りはじめる。

 ところが、川の中には巨大なワニが待ち構えている。見る間に2頭が水中に引っ張り込まれる。しかしワニはシマウマを水中に引き込んで窒息死させるだけで、食べるわけではない。息絶えたシマウマは流れて行く。ワニはまた次の獲物を待ち構える。

 野生動物は生きるためにのみ捕獲するという話はウソだったのか。ワニは目の前の動くものを本能的にガブッとするらしい。

 シマウマは両岸に草が豊富にあるのに、何故命がけで川を渡るのか?理由は無いらしい。ただ先頭(リーダー?)が川を渡り出すと、付いていかなくてはとの本能で、命がけの川渡りをするのだという。ワニもシマウマもアホやなあ。

 動物保護地区はどこもナイロビから数百キロ離れているので、小さな村や町をいくつも通り抜ける。村や町には昼間から何をするでもない男性が大勢たむろしている。その足元にはちぎれたビニールが風に吹かれて土埃と共に舞っている。車から眺めるだけなら危険は無いが、人々を写真に撮るのはダメらしい。目にしっかりと焼きつけるしかなかった。

◆マサイ村訪問

 数年前に平岩氏がマサイ族の村に学校を作った。しかし、ケニヤ政府は学校を建てる許可を与えただけで、先生の給料、教材、子供達の制服など学校に係る費用は全て平岩氏の寄付に依っている。その村を訪問するのもこのツアーの特色である。

 ロッジから車で1時間程でマサイ村に到着した。村は野生動物の襲撃避けの棘だらけの植物で囲われている。車を降りると村の中から数十人の若い男女が歌を歌いながら一列になって出て来た。これから歓迎式をするという。

  
マサイ村の学校の元気な子供たち    マサイ村で歓迎してくれた少女たち


 この訪問は、彼らに準備をさせない為に事前に知らせること無く、いつも突然である。色とりどりのビーズを身に付け、鮮やかな布を纏って踊る姿はなかなか絵になる光景である。あの有名な高く飛び上がる踊りも次々に披露してくれた。我々は彼らの回りをウロウロしながら写真を撮りまくる。

 いよいよ村長の息子(なかなかハンサムな青年)の案内で村の外にある学校訪問である。日本出発前に友人たちから寄贈していただいた文具と、200名ほどいる子供達全員に配るためのアメを持っていった。

 学校には廊下は無く、外から直接教室に入る。床は土間である。ガラスでは割れた時裸足で生活している子供達には危険ということで、窓には鉄格子が嵌っている。教材室を見せていただいたが、頑丈な鍵を掛けているにしては、教材の種類も量も驚く程少なく、ここでは紙1枚でも貴重なのだと実感した。

 先生達の自己紹介が終わって、教室に入る。鮨詰めの教室内では子供達の歓迎の歌を聞き、お返しに我々は車の中で即席に練習した『象さん』の歌を歌う。

 子供達の前で30米ドルを先生に一人づつ手渡し、その様子を写真に撮る。今日の訪問者9人x30ドル、計270ドルと先生が黒板に書く。このようにして、援助は直接手渡さないと途中で抜き取られ、本当に必要な所には行き渡らないのだそうだ。先生は寄付されたお金で文房具を買うという。

 村に戻ると男性が棒と板と乾し草で火熾こしを実演してくれた。写真に撮ろうとアングルを考えていたら、あっという間に火が熾き、撮り損ねてしまった。

 牛の糞で出来た家に数名づつ案内される。天井高は低く、立ってはいられずに腰をかがめて進む。中央には寒さ対策のための火が焚かれている。中に入ると煙りで目が痛くなった。4帖にも満たないような小さな家で、火の両側には牛の皮を敷いた一段高いところがあり、男と女が別れて寝る。もちろん間仕切りなどない。

 村の広場では十数名の女性が我々のために土産物を並べ、買ってくれという。彼等は数を数えられないので、なんでも100ドルという法外な値段を言う。何だか買わないと悪いかなと思ったが、そんな思いはこちらの独り善がりで、彼等はあるがままを受け入れるのだそうだ。

 マサイ族はライオン狩りで有名だが、ライオンは食べる為ではなく、勇敢な戦士の証としての狩りだったという。当然今は禁止されている。

 今回の旅行にはサファリで野生動物を見て、ついでにマサイ村を覗いてみようという安易な気持ちで参加したが、「百聞は一見に如かず」で、アフリカの現状をほんの少し垣間見ただけなのに、我々との生活環境の違いにカルチャーショックを受けて帰国した。今でも彼らを思うと心が沈む。

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