★★★スペイン巡礼記 ★★★
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◆旅のはじまり

 ひょんなことから、今年の夏にスペインの巡礼道を歩いてきた。

クリスチャンでも何でもないが、フランス南部の村から国境を越え、スペイン西部にあるキリスト教三大聖地の一つである『サンチャゴ・デ・コンポステーラ』まで、ひたすら西を目指し、およそ780kmの巡礼道を歩くという、ただただ歩くことを目的とした旅であった。

 巡礼道は世界遺産に登録されている。四国の八十八ケ所遍路道を世界遺産に登録したいという話もあるそうだが、お寺は何百年間変わらなくても、道がどんどん変わっており、最近は自動車道ばかりということで、世界遺産の基準に満たないという話があるそうな。

 その点スペインの巡礼道は一部が自動車道に被さっているが、ほとんどが昔ながらのたたずまいを残す道となっている。ということは舗装されてはいず、雨が降れば牛糞とドロンコとですさまじい有り様になるらしい事をインターネットで情報を得た。そのため、相応の靴を新調して行ったが、幸いにも天候に恵まれ、雨に降られたのは最後の2〜3日、それもパラパラ程度だったので、山火事が起こる程のカラカラ大地には良いお湿りでもあった。


◆歩きはじめ、初日

 7月21日の早朝パリに到着し、早速フランスが誇る高速列車TGVの発券窓口に並ぶ。ところが、あいにくフランス人のバカンスシーズンと重なったせいか、夕方迄満席だという。初日から計画変更。しかたがない、暑い(37℃)パリで日中を過ごし、夕方の列車でフランス南部に向かう。途中の大きな町で1泊し、翌早朝ローカル線に乗ると、車内には何人かの巡礼者と思しき人々がおり、何となく顔を見合わせて、互いに挨拶を交わす。これから始まる苦難の日々の同行者意識がすでに始まった感。

1時間ほどでサンジャン・ピエ・ド・ポー村に到着。ここが巡礼道『フランス人の道』の出発地である。
 巡礼事務所で国籍、パスポート番号等を記した巡礼手帳を発行してもらう。巡礼の象徴でもある帆立貝をここで入手し、ザックに括りつける。ついでに今日歩く道順が日本語で詳細に書かれた地図をいただく。地図を持たず、巡礼道にある黄色の矢印のみを手がかりに歩こうと出かけてきたので、とても有り難かった。巡礼事務所といい、日本語の地図といい、この調子で毎日を安心して歩けるかと思ったのが、大いなる誤解とは、翌日に早くも思い知らされた。この親切な案内書はこの一枚のみで、以降は手探りの自力歩行となったのである。

 今日の歩行距離は約27km。それなのに、歩き始めたのは10時半。この町を起点とした巡礼者はもうとっくに出かけてしまっている。フランス名物のクレープとカフェオレで腹ごしらえし、いよいよ二人だけの巡礼が始まった。

 中世の佇まいを残す静かな村を出たとたん、もう道が分からなくなる。通りがかった人に「サンチャゴ?」と言いながら指差し確認する。誰もが親切に教えてくれる。
 780km先の目的地である都市名『サンテャゴ』ではなく、巡礼道という意味の「カミーノ?」と聞くのが正しいとは後で分かり、何度「カミーノ?」と聞いたことか。

 初日はピレネー山脈越えということで、険しい山道を想像していたが、道はなだらかで、牛や羊がのんびりと草をはんでいる牧場そのものが山脈であった。
 道ばたには白、黄、青、赤といった花が咲き乱れて美しい。しかし、見渡す限り動物を除いて、人と言えるのは我々のみといった寂しい巡礼初日となった。


◆巡礼の道、案内書

 1日目に到着した村で巡礼道の案内書を購入するも、全ページカラーでとても重い。買ったばかりでもったいないが、スペイン語の説明部分や表紙をビリビリと破り、半量ほどにする。この本は日本人の巡礼経験者が推薦していたものの、距離や情報がかなり不確かなものであった。無いよりはましといった程度の本。途中で知り合ったバルセロナ出身の女性が持っていた本(スペイン語)は町や村の規模、方角等が分かりやすかったし、カナダ人が持っていた英語の案内書も良いものであった。

 出発前から恐れていた通り、英語が通じないスペインの片田舎を手探り状態で歩くことになった。毎日20〜40キロを歩き続けるというハードな運動量に加え、情報不足というストレスにさらされ、体重が目に見えて減っていった(帰国後はアッという間に元通り=残念)。周りは、胸、腹、腰が見事に張った人達。日本人の華奢な体型がとても目立つ。

◆食事のこと

 夕食は泊まった宿や近くのレストランでメニューという巡礼者向けのコース料理を食べることが多かった。初日のホテルのメニューは、前菜として皿いっぱいのマカロニ、メインは大きな(30cm位)鱒のムニエルと山盛りのフレンチフライ、デザートはヨーグルト。水とワインは飲み放題。もちろんパンも籠いっぱい。これで日本円にして約1,000円。スペイン料理は美味しいと思ったが、量の多さと何にでも使われるオリーブ油には直ぐに飽きてしまい、生っ粋の日本人としては食事が旅行中最大の難関・難問となった。

 スペインのコース料理は、前菜はスープ、サラダ、パスタ、パエジャ(パエリャ)のうち一品。メインは茹でじゃがいもかフレンチフライを添えた肉か魚を選択。デザートはアイスクリーム、ヨーグルト、チーズ、ケーキ等から一品、といったところ。

 あるレストランでは、スープが洗面器ほどのボールで出てきた。この大量のスープは一人前。巨大ボールからお玉で少しづつ皿に移して二人で食した。美味しかったが、如何せん大量。このスープでお腹の八分目を占めてしまった。

 明るくなるのは7時すぎ、昼食は2時、夕食は8時、暗くなるのは10時ごろと日本より2〜3時間ずれている。ということで、出発時は懐中電灯必携。ほとんどの人がLEDの青色電灯を持参している。


◆ヨーロッパの巡礼者と我々の違い

 ヨーロッパの巡礼者の一日:朝5時半起床。ビスケットとヨーグルトといった軽食を食べて、さっさと出発。1〜2時間歩いて、バーがあったら入り、カフェオレとサンドイッチを1時間くらいかけてゆっくり食す。次の町にバーがあったら、またもやティータイム。午後2時頃に巡礼宿に入り、洗濯とシャワー。お昼をゆっくり食べ、昼寝とおしゃべりやプールで水遊び。夕食は8時ごろからワインを飲みながら、時にはそのまま宴会に移行。11時過ぎに就寝。


 我々の一日:朝5時半起床は同じ。暖かいカフェオレとパン、果物をしっかりと食す。6時半出発。2〜3時間歩いて道ばたで15分ほど休憩。その間持っている食料を食す。これを午後2時頃まで繰り返す。宿に入ったら、洗濯とシャワーそして昼寝。7時ごろ夕食。9時には就寝。

 我々の歩きはゆっくりだが、休む時間が短いので、結局は早足のヨーロッパの巡礼者とは一日の行程が一緒になる。まるでウサギとカメのようだ。

 ヨーロッパ人のいでたち:巨大なザック、帽子なし、ときたまバンダナ、半袖、半ズボン、ジーンズ、登山靴あるいはサンダル、木綿の靴下=マメたくさん。バスローブや洗面器を持参する人もあり。
 我々のいでたち:必要最小限の荷物を詰めた小型のザック。日傘やツバの広い帽子、日焼け止めクリーム、UVカット仕様の手作り手甲、マメ防止用潤滑剤、5本指ソックス、長そで、長ズボン(いずれも即乾性のハイテク品)。

◆ある巡礼宿で

 男女一緒の部屋の2段ベッドという巡礼宿は、リラックスできないので疲れが取れそうもない。なるべくホテルやペンションに泊まっていこうと決めていた。

 1週間ほど歩いたところで、案内書にはホテル有りとあったが、いくら探しても無い町に辿り着いた。疲れ果てており、次の町までは歩けそうもない。選択の余地無く巡礼宿に初めて泊まることにする。

 地元の人に宿の場所を聞くと、身ぶり手ぶりで教会の後ろ(?)と教えてくれる。教会の後ろに回ってそれらしき建物を探すが、見当たらない。ハタと気が付き、教会の背面の入り口を覗く。暗闇の中に階段があり、二階に上って行くと、ニコニコ顔の神父さんに出迎えられた。そこは二人のフランス人神父が管理する宿だった。石造りの教会の後ろ部分が巡礼宿になっている。洗濯場は礼拝所の上の屋根裏、干場は鐘楼。ちょっと恐いが、見晴しが良く、風が吹き抜けて直ぐに乾いた。

フランス語しか話さない神父は、夕方になると巡礼者の助けを借り夕食を作りだした。私も持参のナイフを使ってジャガ芋の皮剥きを手伝う。
 手は忙しいが、口の方は暇なので、自然おしゃべりに花が咲く。キリスト教信者でもない日本人が、何故はるばるここまで来て巡礼するのか誰もが不思議がった。
 日本には1,200キロを超える巡礼道があり、巡礼という行為は日本人に馴染んでいる。日本とスペインの巡礼の違いに興味があった等、懸命に説明する。分かってもらえたかな?

 初めは10人ほどで、こじんまりという感じであったが、夕食時間になるころにはどんどん巡礼者が到着し、総勢30人以上になった。巡礼宿は予約をすることが出来ないので、実際何人泊まるか、まったく分からない。神父は来る人拒まずと気持ちよく受け入れる。

 サラダ、ベーコンと野菜とジャガ芋の煮込み、フランスパン、ワイン、フルーツポンチの夕食を全員がお腹いっぱい食す。今迄は2人だけの寂しい食事だったが、皆でおしゃべりしながらの夕食は新鮮でとても楽しかった。

 食後は「オペレーション(手術)タイム!」と言って、注射器で足マメの水を抜く手入れをここかしこでやっていた。救急箱はどの巡礼宿にも備えられ、誰でも無料で使うことができる。幸いにも我々は最後まで使うことはなかったが。

 翌朝にはフランスパン、ビスケット、カフェオレ、ジャム、バナナが用意されていた。宿泊料は出発する時、ドネーションといって何がしかのお金(1〜5ユーロ)を寄金箱に入れる。

 巡礼宿ではいろいろな人達と知り合いになれ、情報交換もでき、とても楽しい。しかし、ある宿では、冷蔵庫に入れておいた桃を盗まれてしまった。貴重品は肌身離さずが原則だが、食料を盗むとは。ここはスペイン。油断は禁物。

 といっても、巡礼道は世界中から観光客が集まるせいか、それとも世界遺産に登録されているからか、警察官やパトロールカーをいたるところで見かけた。スペインで最も安全な道かもしれない。


◆道中に知り合った人

 初めての巡礼宿で知り合ったイタリアの男女混合グループや、一人歩きのアメリカ人女性とは、歩く速度も泊まる宿も異なるのに、何故かこの後の3週間余りの間にちょくちょく出会った。言葉も通じないイタリア人達とは会う度に「オラー!」と声を掛け合い、旅の目的地サンチャゴで出会った時には思わずハグしてしまった。アメリカ人女性とは急ぐ時は手を挙げるだけ、余裕のある時はおしゃべりを楽しんだ。

◆道中の風景

 巡礼道の前半は牧草地帯を歩く。見渡す限り牧草地で、時には人っ子一人見えず、この道であっているのかなと疑心暗鬼にかられながらの歩行となる。そんな時、遥か前方に巡礼者を発見するとホッとする。見える人までの距離を歩きながら計ってみる。700〜800mはありそう。吉祥寺の我が家から駅を通り越して、井の頭公園を散歩している人物が見えるといった距離である。近眼の私でもその姿がはっきり識別でき、目が良くなったような錯角におちいる。2kmあるいは3km、時には10kmも先の村や町が、群青色の空の下にくっきりと確認できる。遮るものがないのと砂漠のような乾いた空気のせいだろう。

 木陰にはワラビの群生がここかしこにある。もう大きくなり過ぎているが、1〜2ヶ月前だったらそれこそ取り放題だったろうに。刈り取った痕は無いので、ワラビを食べる習慣はないのかな?

例のスペインで買った案内書には、次の村あるいは町までは何kmとしか記載されていない。歩いている時の道標として、分かれ道などには黄色の矢印や帆立貝のマークがあるが、日本の山中によくある『どこそこまで何km、何分』といった表示は皆無である。町と町間が何十kmもあるときは、持参した万歩計で、今歩いているところがどの辺か推し量るしかない。

 小さな町では食料品店を探すのが容易ではない。店の入り口は人1人通れるくらいの扉であったり、スダレが掛かっていたりで中が見えない。ある町ではいくら探してもないので、開いていたバーで聞いたら、そのバーの奥の小さな入り口の先がヨロズ屋だった。

 果物や野菜が山積みされている店では、自由に選ぶことが出来ない場合がある。りんご何個とか、オレンジ何個と注文すると、店のオカミサンが選んでくれる。新鮮なところをピックアップしてくれれば良いが、しなびた品をつかまされたりする。

 四国では巡礼者にお金や品物をお接待することが功徳になるということで、巡礼者はとても大事にされる。見守られているという気分になるらしいが、スペインでは何とか巡礼者からお金をいただこうと待ち構えているような感じがしたのは、われわれ日本人だけだろうか?

◎ 巡礼者いろいろ

 年寄りがもっと歩いていると思ったが、殆どが若者。なかには巡礼をしているのか、ボーイフレンドやガールフレンドを探しているのか目的不明の若者もいる。国別では、もちろんスペインが一位。次が、地理的に近いフランス。言語が似ているイタリア。あとはドイツ、東欧諸国、イギリス、アメリカ、カナダ、北欧といったところ。日本人は留学生という男性一人を見かけただけ。日本人は年間100人位が歩いていると、どこかのHPに記されていたが、現地の事務所に聞いたところ、一週間に数グループといったところらしい。韓国、中国からの巡礼者もほとんど見ない。東洋系の若者を見かけたので、どこの国の人か聞いたら、フランス系の中国人だった。

 歩きは100km、自転車と馬は150kmを越えると、巡礼者として認められるので、終点から100km手前の街から急に巡礼者、それも年寄りが増えはじめた。なかには、荷物を伴走車に預け、空身で歩いているお気楽な巡礼者もいる。自転車は自動車道を走行する人もいれば、石畳の凸凹道を走行する人もいる。知り合った歩き巡礼者のドイツ人は「数年前に自転車で10日間かけて巡礼したが、アッという間で、精神的に物足りなかった。だから今回は歩いている。色々な人と知り合えるので、歩きの方が楽しい」と言っていた。

 4週間にわたった巡礼中は、村人も巡礼者も誰もが気軽に挨拶しあうという暖かい雰囲気があったが、巡礼が終わってタダの人になった途端に、誰からも声を掛けられなくなったのは当たり前のことだが、言いようもない寂しさを感じた。

四国巡礼は一度歩くと巡礼にハマって、また歩きたくなると言うが、何となくその気持ちが分かるような気がした。

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