★★★世界一周「いつやるか?」「今でしょ!」(2013年:8月-12月)★★★
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 これは事件だ!!
10月14日 リマ
 「今日のフライトは、リマ 01:35発、サンチャゴ 06:50着。夕方暗くなっての到着なので、宿探しが心配だ」、、なーんてノーテンキに構えていた。

 タクシーで10時ちょっと過ぎには空港着。チェックインカウター付近にいた係員にバウチャーを見せてここに並べばいいの。

 「You missed the plane.、、、」「??? うっそー、あれー、そーかー、01:35発といえば真夜中だよなー、、、、 06:50着といえば早朝だよなー、、、」今頃気がつく、超蛍光灯ーーー

 「正真正銘勘違爺」は果たして、サンチャゴに飛べるか。

 近くの空港係員に「とにかくサンチャゴまで行きたい。」と泣きつく。「一番向こうのカウンターに行きなさい。」「はーい。」いわれるままま。

 2,3列あったので適当に並ぶ(3,4日後にイースタ島フライトがあるので、追加料金あっても今日明日ぐらいにはサンチャゴに飛びたい。)

 列を整理している係員に事情を話すと、53番窓口に誘導してくれた。するとここのカウンター嬢、さらに向こうの「切符購入窓口へ行きなさい。」 はい、いわれるまま

 切符購入窓口嬢、私のバウチャーを見ながら、パソコン入力&外部に電話。「ここではどうにもならない、このオフィスに行きなさい。」 LAN航空の市内オフィス一覧を手渡される

 「絶句」(そんなあ、見知らぬ土地でオフィスを探して歩き回れるわけなーいじゃん、完全困ったちゃん)

 飛行機に乗り遅れるなんて、不測のトラブルが無い限り絶対ありえないと思っていた。ホント情けない。

 窓口嬢、再度電話したり、パソコン入力したりして「ここではどうしようもない、再度53番窓口で相談しなさい。何とかしてくれるはず。」

 たらい回しだが、ここで文句を言っても始まらない。はい、いわれるまま、再度53番窓口へ。

 窓口嬢に「切符購入窓口でここで何とかしてくれるっていわれました。」仕方ないなあという感じでパソコン入力、、そして本日16時過ぎのフライトの仮搭乗券を発行してくれました。
(わー、これでこころの重荷がスーッととれた。何とか飛べそー)

 「この仮搭乗券をもって再度切符購入窓口へ行きなさい。正式な搭乗券を発行してくれます。」

 再度、仮搭乗券を持って先ほどの切符購入窓口へ。はーい、超うれしーことに本日17時45分発の搭乗券を発行していただきました。

 追加料金はなし、無料。

 私の大失態に対応していただいたLAN空港関係者に熱く御礼申し上げます。ありがとうございました。

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 乗り遅れトラブルで右往左往しましたけど、いいこともありました。ビジネスチケットなのでVIPルームが使えました。

 12時すぎから17時ぐらいまで各種軽食、コーヒー、ジュース、パソコン印刷などゆったりとした時間を過ごすことが出来ました。

 トラブルの後だったせいか、とても心が落ちつきました。

 サンチャゴ着
10月15日 リマ→サンチャゴ
 宿はイースター島フライトがあるので空港アクセスが便利な安宿に決めていた。空港バスの終点(セントロ)近く、歩いて行けるハズ。

 フライトは昨夜23時着。夜行動は危険なので空港待合室泊。朝一番の空港バスでセントロまで。目的の宿にドボン。ドミ泊(日本人数名、お世話になります)

 昼食はメルカド(魚市場)。白身魚のから揚げ。ご飯がほしい。近所のスーパーでイースター島のための食料購入少々(島の物価はとても高いらしい)

 魚介類スープは美味しい
10月16日 サンチャゴ
 本日の仕事、両替と魚市場で魚介類のスープ飲むのとイースター島向け食料買い出し。

 両替商が軒を連ねている。似たり寄ったり、100ドル500ペソを数ペソ単位で競っている。空港より5%ほどいいといっても1万円で500円レベルです。

 魚介類スープはお会いした日本人が美味しかったと強調するので話のタネに。ハイ、昨日の唐揚げの半額で、とても美味しかった。魚介類のダシが効いている。

 食料買い出しはインスタントもの中心、ほぼ4日分(イースター島関連情報ノートには、食料は持てるだけもってけと書いてある)。

 イースター島へ
10月17日 サンチャゴ→イースター島
 日本人宿と連絡が取れないまま13時島in。 空港をでると、すぐに向こうから声をかけてくれた。

 私の宿泊依頼メールは届いていたようだ。宿主(日本人)曰く、宿からの返信をso-netが通さなかったらしい。(原因不明だが、結果オーライ)

 ドミトリは。先客日本人男性1名。キッチンも綺麗、部屋も、リビングも綺麗。きもちいいーーーです。

 近くにある旅社で、明後日の島めぐり1日ツアーを申し込んできた。

 島めぐりツアー
10月18日 イースター島
 1日ツアー。モアイをいっぱい見てきた。小さなモアイからだんだん大きいのを掘るようになった。そう思うよね。でも小さいのは見当たらなかった。小さいのは風化して残ってないという人もいるけど。

 最初からでっかいのを彫ったのか。顔だけから、腕も足も、、でかく、でかく。

 基本今残っているのはとにかくでかい。南米の人のやることはよーわからん。ナスカの地上絵、マチュピチュ、そしてモアイ。

 よーわからん事をやったから人(観光客)がこうして集まる。考えちゃうなあ。

 海岸近く、倒れたモアイ。モアイよりも打ち寄せる波しぶきの白さと海の色の青さに感動した。

 国立公園、モアイの切り出し場。石を彫るといえば石塊からと思うが、彫った後で切り出すとか。だからモアイの頭は断崖絶壁ということか。

 それにしても表情がすべて微妙にちがう。形(表情、姿)の継承(よりカッコよく、より微細に、)がないのも不思議。でかさだけが継承されたなんてちょっと民族としての、芸術的(知能的)レベルが低いと思ったというのは言いすぎだけど、感想だから許してください。

 バカなことをやる、でかいことをやる、凡人が考えないようなことをやる。日本人に足りないのはそこだなーーと勝手に思いをめぐらした一日であった。
(いい締めだ)

 雨
10月19日 イースター島
 朝から雨模様。昼まで待って出かけたが、雨ザンザン降り、ラノカウ山の頂上はガスって湖も海も見えなかった。

 帰りはずぶ濡れになるも、山を降りたところで親切な車にひろってもらい宿に帰る。運転手さん、ありがとうございました。

 濡れた衣服は洗濯代わりの水洗い。

 再挑戦ラノカウ山
10月20日 イースター島
 島の西南端ラノカウ山頂の火口湖縁にあるオロンゴ村、昔の集落。昨日は雨とガスでここから見下ろす火口湖が全く見えなかったが、今日は昨日と打って変わっての好天ゆえ、くっきり、はっきり、いい気分。

 宿から往復で3時間ぐらい。急峻な噴火口で湖に降りることができないのは残念。葦が8割ぐらい湖面を覆っているので、遠目にはさえない湖面。 山頂付近、昨日のリベンジハイキング完歩。

 日本人ドミ、若男1(2昨日から)若女1(昨日から),若夫婦1(本日)、老爺を含めて5名(収容可能人数max男4女4計8名) 以上、本日の宿泊人状況。

 さよーならイースター島
10月21日 イースター島→サンチャゴ
 昨日夕方から泊人5人レンタカー共同隊結成(よーするに一緒行動)。近くの海岸にて夕日のモアイを観察(海を背に立つモアイと海に沈む夕日!)

 ドライブ40分、朝日のモアイ観察(同、海を背に立つモアイと水平線から顔を出す朝日!)

 午後の飛行機でサンチャゴに帰着。到着現地時間21時、空港シャトルバスの終点、夜の街を急ぎ足5分にて帰宿。

 買い出し、シェア飯
10月22日 サンチャゴ
 昔の話?ウユニ塩湖でツアー一緒だった女性、転職の合間の休暇だそうな。お住まいは吉祥寺本町。今日の話?現在泊中の世界一周1年旅中の女性。お住まいは吉祥寺東町4丁目。世界は広いが、世間は狭い。

 天候曇、午後から泊中のメンバーで市場買い出しツアー。美味しいシェア飯ができそう。

 日本人情報、若男1、若女3,老爺1。今日は女性料理人2名、役立たずヘルパー3名による豪華なシェア飯です。招待同宿外国人2名。

  
皆で食べると美味しいね


   
料理人の奮闘で、久しぶりの豪華な食卓

 キャンプ
10月22日 キャンプ地 
 田舎に「キャンプに行くよ」というので付いていくことにしました。宿オーナーS氏(中年男)、女性P子さん(30代)、爺の凸凹トリオ。

 訳も分からず、着替え数点持って参加。何とかなるだろー。夜行バス。

 キャンプ初日
10月23日 キャンプ地 
 南下、約12時間、バルビディアという街に早朝着。ここから小バスを乗り継いで、小道が通っている崩落寸前のバス停小屋前で下車。この小道を入るらしい。

 ええっ!、食料は自分で用意すんのぉ!!仕方ないバス停で小パン十数個、ビスケット、スープの元、バナナ、二人共それぐらいしか思いつかない。小バス発車寸前、急がされて粗食get。

 一方のオーナーは両手に食料いっぱい。なんてーこった。

 小道を入って右手に牧場。ここから上りに入る。山桜らしき花吹雪をあびて、なかなかいい雰囲気。この山(牧場)の持ち主らしい家の前、数匹の犬に吠えかかられつつ、ずんずん登る。

 牧場の柵を乗り越えたり、でかい掘っ建て扉を開けたり、鉄条網をくぐったりして、ぽっかり開けた草地に出た。ここが今日のキャンプ地らしい。

 近くに、噴火口にできた大きな湖。急峻な窪地(噴火口)にできているので、直接水に触れられるのはこことあと数箇所らしい。飲み水&洗浄水=湖の水

 バスに揺られて十数時間、体がなまる。キャンプ地までの約2時間の上りはいい運動になりました。腹ごなしのためだが、夕食の内容を考えるとちょっと憂鬱。

 S氏の荷物が重そうなので私がそのうちの一つ(2Lペットボトル*3本=6kg)を持ってあげることにした。情けは人のためならず。

 夕食時、彼は我ら二人にお情けジュースをご馳走してくれた。二人の夕食はパンとスープの完全粗食だが、夜の焚き火(火遊び)は楽しい。

 オーナーの荷物重量の元は5,6本の自家製果物ジュースとは恐れ入りました。

 キャンプ2日目
10月24日 キャンプ地 
 夜は結構冷えて、彼女は一睡もできなかったとぼやいていた。私はそれなりに眠れたが。

 キャンプ用品は黒ビニル袋に突っ込んで林の中に放っといたらしい。すべて開けてみたが、ネズミがかじったような穴があり、数日前の雨でほとんどが濡れていた。

 こうなるとS氏の不機嫌が止まらない。(後で知ったが、オーナーのこの幼児性は泊者みんなの了承済性癖らしい) 二名は、寝袋、テントを干すのを手伝いながら、ご機嫌伺い。

 朝の仕事は火起こしから。残り火かき分け、小枝重ね、灰を浴びながらダンボール団扇、涙目ぽろぽろ、、、着火、成功!

 S氏はこの地を購入つうか権利取得交渉で下の牧場主に会いに行くとかで留守。彼女は昨日の寝不足を取り戻すべく惰眠。

 一人火遊びも愉しからずや。気をつけていたつもりだが、火の粉でダウンジャケットに小孔がぁぁぁ、後の祭り。

 彼は不在、彼女も昼過ぎ目をさまして、真昼の火遊びに参加するも、二人手持ち無沙汰。ミニハイキングに行こうと意見一致。

 歩くこと30分ぐらい小川が注ぐ湖の端まで。キャンプに戻ると不機嫌なS氏に遭遇。牧場主が不在だったらしい。

 ホント困ったちゃんだが、しばらくすると元の常人に戻る。

 夜は満点の星に感動。湖のほとりでしばらく話し込む。といっても私ではなく彼女(英会話の先生経験者)とS氏(米国人だから英語が通じる)です。

 彼が寝静まってから、二人で焚き火でこっそり湯たんぽ(ポリボトル)用のお湯を沸かす。(焚き火で湯沸するとなべ底が黒くなるからダメというのが彼の主張) 湯たんぽのおかげで二日目の夜はぐっすり。

 野良牛
10月24日 キャンプ地
 そこら辺には、カウパイ(牛糞)いっぱい。このキャンプ地は牧場外なんだけど時々牛が入り込むらしい。湖に通じる数十mの小道にも数個のパイがあるし、またキャンプ地の小草原にもそこら中にあって油断するとフンづける。

 新しげなのが沢山あるので、牧場主が時々というより頻繁に牛を追い込んでいるのでしょう。キャンプ地にはちょっとふさわしくないけど、、どーします、(使用権利取得希望)S氏。

 嬉しい二人旅
10月25日 キャンプ地→バルビデア
 張ったテントはそのまんま。また来週来るから、いいというが、また何か事件が起きそう。

 牛とテントは相性がいいのかな。ネズミがそのあたりをかじりまくるんじゃないですか。テント内は蒸れてカビが生えるかも。何があっても知らないよ。

 帰途、S氏は重要鳩首会談で牧場主の家に入り込んでなかなか出てこない。我々二人は待っていても仕方ない、S氏と別れて、帰りのバス停で待つことにする。S氏から教えてもらった時間より、1時間遅れのバスを乗り継いで、やっと夕方バルビデア着。

 彼女はこれからチロエ島にいくというので、そのまま付いていくことにした。若い女性との二人旅、楽しみたいと思います。ハイ。

 バルビデアは川に面した小さな町「雰囲気もよさそうなので、今日の安宿はここにしましょう」「OK(爺)」

 彼女はとても精力的、旅慣れている。2,3軒当たって、最安宿に決定。ありがとうございます。お世話になります。

 チロエ島観光
10月26日 チロエ島
 安宿は小さな食料品店の二階。シャワーはぬるいし、タオルもない、おまけにトイレ紙もないが、値段相応です。屋根とトイレがあれば文句を言わない私なので、平気の平左衛門。

 朝、即、バス、チロエ島の入り口の街プエルトモンには昼過ぎ着。彼女の口コミ安宿情報(サンチャゴ宿オーナーS氏推薦)と美味しい魚市場食堂情報(同宿日本人女性お薦め)を頼りに行動開始。

 安宿はホームステイ型のドミ宿、そして目当ての魚市場食堂はすぐに見つかった。二人でスープと海鮮煮込みを堪能しました。

 魚市場に行く途中には土産物店がズラリ、買いたいものはなかったけれど、眺めているだけで幸せな気分に浸れました。

 南米の優等生
10月27日 チロエ島
 ペルーは砂漠、チリは緑。荒れ地のペルーバス旅印象に比し、チリのバス旅は地味(土壌)も豊か日本の田舎の風景を思い起こさせます。主要道路は整備され、緑の中をずんずん、走ります。
(そしてサンチャゴは都会の香り)、この風景南米の優等生という言葉を思い起こさせます)

 それにしても四季、気候、緑、なんと日本は恵まれていることかと思いを新たにしました。

 チロエ島カストロへ向かってバスは走る。街から島へ上陸しての沿道は黄色の花真っ盛り。小さな背丈ほどの針葉樹の先につく花。そこらじゅう黄色のお花畑状態。日本のブタクサを思わせ、綺麗というより、一瞬何だこりゃあ状態。

 島へはフェリー(バス乗車したまま)で約30分。上陸してから2時間ほどで黄色一色の眺望から開放されてカストロの街に入る。

 安宿探しは彼女の役目、親切なおばやんに遭遇して4軒目で決着。街の中心アルマス広場、世界遺産の教会、魚市場、併設土産物店など彼女の後をついて歩き回る。

 但し、魚市場、土産物店の規模はプエルトモンの数分の1で活気もいまいち。シーズンオフ?

 世界遺産・教会巡り
10月28日 チロエ島
 この島や点在する小島には世界遺産の教会が16箇所もあるらしい。木造建築の教会が売りらしいが、アルマス広場の教会は外壁をトタン板で覆ってケバイ黄色とピンクとかに塗ってあり、これが世界遺産かぁと驚いた。

 この他、点在する教会を巡るツアーもあるらしいがお高いらしい。バス便も少ないので、歩きとヒッチハイク以外手段はなさそうだとの彼女の言。「お願いします」(爺)

 ミニバスを乗り継いだり、数キロ歩いたり、フェリーに乗ったり、長距離移動はヒッチハイク。車を止めるのは彼女の役目。

 停車!!(やったね)、彼女すかさず、先を歩く老爺を手招きして「アミーゴ(友達)OK?」 運転手、、(あれ、連れあり?仕方なく)「OK」

 それでも教会は4,5箇所しか回れなかった。外壁の木はところどころ腐っていたり、教会の前庭にさえ入れず。教会として利用されている風でもなく、「うーむ、これがー世界遺産か」

 彼女と別れ、サンチャゴに戻る
10月29日 チロエ島→サンチャゴ
 彼女はこれから別の都市へ、私はとりあえずサンチャゴに戻り、ゆーっくりしたい。バスは15時すぎ発、サンチャゴ翌朝8時着の夜行バスを予約。

 彼女と別れ、魚市場、土産物店、市内散策、街の中心アルマス広場で時間を過ごす。

 何かのデモ隊集結。当地のデモは太鼓付きでドンドコドンドコと調子がよろしい。旗指し物が林立しているが西語故分かるわけがない。太鼓に合わせて行進するがシュプレヒコールなど一切なしの楽しげな隊列だ。

 デモ隊が去って、しばらくすると公園の劇場広場で子供たちの寸劇が始まった。チロエ島の歴史を表現したお芝居らしく戦いの場面、和解の場面、国の政治、鉄道開通工事の場面など、子供たちは当時の衣装そのままに稚拙ではあるが真剣な表情のお芝居。
 回りの父兄たちは自分の子供にカメラを向けて追い回す。

 子供たちの真剣なお芝居に心温まる時間を過ごすことが出来た。

 少し忙しかったキャンプ&チロエ島旅を終え、サンチャゴへ。

 予定は未定
10月30日 サンチャゴ

 バスは早朝サンチャゴ着。宿まで歩いて30分ほど。とにかくホッとした。これから10日、この宿で過ごす。予定は未定。

 なので、午後、食料の買い出し。インスタント食、パンだけでなく、野菜など少し料理をしてみようかと川向うの庶民食料品市場まで足を伸ばす。じゃがいも、人参、玉ねぎ、アスパラなど。

 ペルーの安宿はウェルカムスタイル(入口扉開出入り自由)がほとんどだったが、ここサンチャゴはノンウエルカム(呼出釦・中から解錠)が基本。南下して訪問した街でも、チロエ島でも、安宿はノンウエルカムでした。

 私が今泊まっている宿もいちいち呼び鈴がめんどくさい。

 今日の料理はポトフ&カレー
10月31日 サンチャゴ
 野菜たくさんのポトフを作ってみた。まあまあのでき。曇天、肌寒い。

 今日はチリの祝日なので、メルカドも閉まっているのではないかというので宿で折り紙だの数独だのでヒマつぶし。

 夕方日本人8名(男5女3)が集まってカレーのシェア飯。即、参加させてもらいました。先程から台所では喧々諤々、いい匂いがしてきました。


 メールチェック
11月1日 サンチャゴ
 泊人のよもやま話(情報交換?)は夜中の24時過ぎまで延々とつづく。従って、起床は朝9時以降。

 老爺は明るくなる7時前後には起床。静かな朝が大好き。時差12時間なので日本からの1日分のメールチェックが日課。

  家族や友人、関係者からのメールが入ると、とてもうれしい。最近ブログにスパムメールが入るようになった。

 今日の予定はサンチャゴ日本人学校に電話、昔の同僚(チリ人)の職場へ押しかけ訪問。

 チロエ島ヒッチハイク車例

1 何故か食べなよとパン無償提供男性
2 モテそうに見えない中年男性
3 超親切中年男性(何故か2度乗車)
4 家族を迎えに行くついてのトラック運転手
5 帰省中のサンチャゴの警察官

全て男性。金魚のxx爺はそれなりのトラブル抑止力になったと思っている。

 食事について

 旅移動中はインスタントものや、バナナ、パンなど決まったパターンになりがちだ。サンチャゴに戻ってきて時間ができた。昨日の素朴ポトフ(人参、じゃがいも、玉ねぎ、ソーセージ、コンソメ?)はわりとよく出来た。

 今日はたまたまスーパーでマヨネーズ発見、マヨネースに合わせて、魚市場でエビ、そしてブロッコリ。醤油マヨネーズは美味ですね。

 南米特産のチリモヤは癖がない甘さでとても美味しい。昨日も食べたけど今日も買ってきた。夕食前の楽しみーー。

 威風堂々
11月2日 サンチャゴ
 そこかしこで目にするピチットタイツ姿の女性。「太もも&大ヒップ」がアピールポイントらしい。加えて、タプタプ揺動腹。これでノッシノッシと歩く様は「威風堂々」。

 食糧事情、日本人学校、チリ大学、ワイナリ訪問
11月3日 サンチャゴ
 人参を切りながら、これ日本だとハネ品自家用、アスパラこっちはいいけどこれは育ちすぎじゃん、など店先は玉石混交。でも料理する分にはノープロブレム。

 スーパーにて、怪しげな色つきの炭酸飲料3リットルでかボトルが同3リットル水よりも安い。バターロールは一個いくらではなくて、重量量り売り。卵12個が最低単位ゆえ購入躊躇。

 サンチャゴ日本人学校:11月9日は運動会につき、今週中の子供たちとの折り紙交流は困難です、とやんわり断られる。学校の雰囲気を味わいたいのでぜひ学校訪問したいとお願い中。

 チリ大学:木曜日祝日だと金土日と連休で休むのか、門は閉ざされていた。「東大フォーラム」が7,8日開催、無料参加できそうなので行ってみるつもり。昔同僚V教授(チリ人)にはメール出すがなしつぶ。会いたくないらしいが、押しかけ訪問。

というような予定

 地下鉄、バスを乗り継いでワイナリ訪問(コンチャ・イ・トロ(Concya Y Toro))。日本人男性3に誘われて参加=計4名。現地で英語ツアー申し込み、白&赤ワイン2グラス付き。

 歴史、畑の案内、その後、提供されたワインはそれなりのものらしいが、アルコールの判断力ゼロ。しかし、完飲していい気分。帰りはウトウト地下鉄。

  地下鉄:駅、車両ともきれい。車内は明るく、吊手はあるが、網棚はない。椅子は硬いが布張り、ベンチ席と対向席混在。車内床に座り込む若者散見。どこまで 乗っても均一料金。タッチカード式(スイカと同じくカード購入、適宜現金をチャージして使用)各駅急停車気味なので注意。

 地下鉄は100-150円(利用時間帯で変わる)ドコまで行っても均一料金。天気良好、温かい一日であった。

 日本人学校訪問、その後、、困ったちゃん、
11月4日 サンチャゴ
 メール交換でサンチャゴ日本人学校の校長先生と連絡がついて「訪問OK」の返事をいただきました。

 googleでバスルート検索。乗るべきバス番号、バス停名をget。乗車バス停は宿から10分ほどの距離。下車バス停のメモを運転手に提示して、乗り換えなし約1時間のバス旅、無事下車。

  「住所」と「escuela japonesa(日本人学校)」のメモ書きが頼り。google地図を頭に思い浮かべながら、適当にそれらしき道路を進む。さーてどうするか。暇そうな 車の販売社の係員が立ちんぼしていたのでメモ書きを提示すると、「この裏よ!」 ホントだぁ。

 入り口ブザーボタンを押すと、校長先生自らが門まで出向え、校長室まで案内され、ホント恐縮です。

 リマ日本人学校や現地の子供たちとの折り紙教室の実際を実物を示しならお話ししました。校長先生は数学の授業を受け持っていて、どうも理系らしい。ためつすがめつ、すべての作品に大変興味を示してくれました。

  竹とんぼ代わりの紙トンボ。自分で組み立て飛ばして「おーーーよく飛びますなあ。」口唇を追って見せたら、「これは遊べる、いいですなあ。」コマを見せた ら、分解して「こうなってるんですか、これいただいていいですか。」 ムービンボックス、マジックボール、カライドサイクル、その他私の大半のレパート リーをすべて引き取っていただきました。

 最後に11月9日の運動会のプログラムと参観許可をいただきました。当日、子供たちの元気な姿を見れる、楽しみです。職員室に案内され、先生全員にご挨拶し、学校をあとにしました。

 帰りのバス停は道路を挟んで反対側のハズ。同じ番号のバスが来ないので強引にメトロに乗りたいといって通過しようとするバスに乗り込む。(メトロならなんとか宿最寄り駅まで行けると考えた)

 ここで「降りて右折しろ」という運転手。しかし、降りて右折してしばらく歩くもメトロなんて見当たらない。

 近くにバスのたまり場みたいな場所があって、そこからこのあたりの始発のバスが次々に発車する。たむろしている数名に相談するとメモ書きを見た運転手が、そのバスが通るバス停まで乗っけてやるという親切な申し出。

 「ありがとうございます(グラーシアス)」帰りのバス(行きと同番号)で再度約1時間のバス旅。お陰で無事宿まで帰り着くことができました。ありがとうございました。無事帰れて良かったあー。

 宿オーナーS氏は親切
11月5日 サンチャゴ
入り口のブザーが鳴って、新しく日本人女性二人泊、早速、歓迎の果物ジュース(オーナーS氏お手製、超美味)。居合わせた男性二人(含私)にもちゃんと同じジュースを提供してくれる。

 S氏は変人(喜怒哀楽が激しすぎる)とみんなが言うけれど、それぐらい感情を時々過激に出さないと傍若無人な宿泊人相手にやってられないことも多いだろうなと同情する。

 今日は、私ひとり折り紙してたら、お皿いっぱいのサラダを出してくれた。2日に1回ぐらい彼手作りの食べ物(料理)を食べている気がする。

 若者は日中外に出ているが、私は所用&食料買い出し以外はロビーで手遊びしていることが多い。ここは自炊人が多いので台所は汚れがち。コンロまわりを掃除したり、鍋、食器、ナイフ・フォークの後片付けをしている。

 使い切り計画
11月6日 サンチャゴ
 国外に出るとき困るのが通貨。チリ、当分来る予定ないし、使いきりたい。宿代、あと数日の予想出費を勘案して最後の両替を済ませる。

 使いきり計画:空港バス、その他臨時出費、食費などぎりぎり黒字予算案(赤字で出国できるわけないでしょ。我が国堂々の赤字国家予算がうらめしー。)

 東大フォーラムに参加
11月7日 サンチャゴ
 東大フォーラムは、「知の創発」を総合キーワードに、シンポジウム、フォーラム、留学フェアなど、多くのイベントを通じて、東京大学の最先端の研究成果をひろく皆さまにご紹介するものです

 東京大学からは約150名、カトリカ大学とチリ大学からは約100名、そしてサンパウロ大学からも約100名の教員・研究者・学生・事務職員が参加(チリ・サンチャゴで2日間、ブラジル2日間)

 学生、一般人も参加自由ということなので参加した。実は遠い昔、勤め先で一緒に仕事をしたV氏(チリ人)がチリ大学の教授になっていたからである。フォーラム参加というより、久しぶりに彼に会って昔話でもという考えたのだが、甘かった。

 「東大フォーラム」オープニングセレモニーでV教授に会えた。「やあやあ、V教授ですよね」(久しぶりなので確認)もらった名刺は確かにV教授、彼、髭面爺に戸惑ったか「!名刺ありますか?」(やけによそよそしい)まずは異邦人対面の挨拶を交わす。

 セレモニースピーチが終わったあと、メモ用紙に名前、住所、Eメール、昔NTT、今世界一周旅路を書いて「名刺ですっ!」と手渡す。「いつまでいるの」「11日まで」「時間がないなあ」(V教授)

 教授になると(ちょっと偉くなると)人間変わるんだ。持参のお土産渡すのをやーめたっと。

 職場では、一緒に昼飯を食いに行ったり、私の家族と一緒の春の花見に招待したりしたんだけど。

 東大フォーラム オープニングセレモニーでは開始前にサンドイッチ、コーヒー、ジュース、スナック菓子の提供あり、いただきました。

 シンポジウム講演のコーヒーブレークでも、軽食がでたのでいただきました。

 フォーラム参加渡航費150人分、この軽食、そして50ページ余の分厚い立派なプログラム、校内掲示ポスター、これすべて税金。かつ、V教授とのイマイチの再会。せつなーい一日であった。

 トマトシチュー
11月8日 サンチャゴ
 トマト特価2kg:100円(市場相場1kg:100円)につられて買ってきたトマトはかなり柔らかい、大量消費のためトマトシチューにチャレンジ。じゃがいも、玉ねぎ、人参、アスパラ、ソーセージ、それにシチューの元、大量トマトでそれらしきものができた。

 さあ、お味はどうかな。美味しいよー。

 今日も宿オーナーが昼食のマカロニサラダとイチゴジュースを提供してくれた。機嫌のいい時の彼はとても親切だ。日本人宿泊者は昨日から私だけになった。今日もドミ占領かな。

 ドミトリーは2段ベッド8人部屋。同じような部屋がもう一つ、あとは個人部屋が2,3あるようです。2階は入り口別 で通常営業のレストランになっている。家の中央には大きな机と椅子数個があって、吹き抜けの青天井、まわりには、各種植木、草花が雑然と置かれている。 オーナーが時に水やりをしているが、雑草の植木鉢もそのままの状態だったりする。

 ドミは日本人専用とその他の外国人用みたいな感じで使われている。日本人バックパッカーがほとんどで、ドミは男女共用。

 一人若い(未婚?)外国人男性が居候している。何をしてるかというとPCを夜中まで眺めているか、台所で料理(菜食主義とか)してるか。

 オーナーS氏は、日本人が好きらしい(何でもきれいに使うし、わりと礼儀正しいからだと思う)前にも記したが、機嫌のいい時は食事やジュースを振るまってくれる。私は2回ほど無料で洗濯してもらった(通常は有料)。きょうも昼食、ジュースを出してくれた。

 ってな感じのあやしげな、でも居心地のいい宿です。

 日本人学校、運動会参加
11月9日 サンチャゴ
 運動会に行ってきました。中学生まで、総勢35名だったかな。

--プログラムです、昔の自分を思い出しましょう
・50m走:校庭を斜めに走って50mギリギリ(全学年)
・二人協力:背中合わせ走ーおんぶーデカパンー2人3脚ーゴール
・フラフープダンス:1〜4年生
・玉入れ;父兄参加あり
・応援合戦:赤、青にわかれてコント的組演技合戦
(赤白ではなく、赤青の番号入りビブス着用、白は汚れやすいからか)
・蜘蛛の巣脱出:障害物競争の網くぐり
・サンチャゴソーラン:全員参加の踊り
・綱引き:父兄参加あり
・ZIPANG:組体操・波表現、人間ピラミッド、日本誕生ストーリー仕立て
・リレー:1−3年の部、4年以上の部、運動会の華

9:00-15:00、校庭は全面芝生、天候:晴れなるも風強く、日陰は寒いぐらいの気温

 来賓席、お昼のお弁当にお寿司がでました。終了後、寿の焼印入り紅白のおまんじゅう(久しぶりのアンコだ!)をいただきました。

 来賓:日本大使、PTA会長、xx理事長、昔生徒、その他、、、最後方爺

 サンチャゴ日本人学校のU先生に送ったメールです。
ーーーーー
 元気な子供たちを目の前にして、とても心地よい時間をすごすことができました。また、競技ごとに校長先生の趣旨、内容説明があったことや、生徒さんたちの競技説明など、分かりやすい進行がとてもよかったと思います。

 組体操ZIPANGは日本人ならだれでも分かるストーリ仕立ての演技でとても感心しました。構成、演技を担当された先生(生徒さん)に敬意を評します。

 赤組のリーダーが感想発表の壇上で、特に低学年の生徒たちの協力があってこその優勝ですと言ったあと、言葉につまった時、私もちょっと涙がこぼれました。
(あるサークルで東日本大震災の話になって、意見を述べる際、私も自分の非力さに声をつまらせ、涙した覚えがあるからです)

 きっと赤組リーダーの彼女にとってサンチャゴ日本人学校生活での大きな思い出の一つになると確信しています。

 最後のリレーは運動会の華ですね。父兄、来賓のみなさんが興奮気味の応援、私もその気になって声を出していました。

 サンチャゴ日本人学校の運動会参観はサンチャゴ滞在中の私の大きな思い出になりました。ありがとうございました。
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 リマの日本人学校とサンチャゴの日本人学校で違うと感じたこと。それはセキュリティです。

 リマは高い塀で囲われ中は見えず、学校とは解らない造り。頑丈なドアの前に守衛が頑張っていて用件確認、パスポート提出して初めて中に入れる。パスポートは学校を出るとき返してくれる。かなり厳重警備。
(そういえば最近守衛費用が削られそうで夜間警備が手薄になるが、そうなると学校関係備品の盗難が心配だとある先生が言っておりました。)

 サンチャゴは金網越に校庭が見え、奥に校舎がある。入り口上部には日本人学校と日本語表示があり、呼び鈴を押すと守衛のおじさんがにこやかに招き入れてくれる。

 さようならサンチャゴ
11月10日 サンチャゴ
 明日はサンチャゴを出るので荷物の整理。買い込んだ食料が多い、すべて調理したら大量のトマトシチューが出来上がった。余ったパンと一緒に同宿人に食べていただいて事なきをえる。

 オーナーには宿の名前tales多禮寿(taresu)とご本人の名前scott諏惚人(sukotto)と漢字表現した名刺(漢字の意味も添えて)を謹呈した。

 以下の表記でいかがでしょう。画数が多い方をよろこぶというのでなるべくそういう漢字を選んでみました。

多(many) 禮(Ceremony, greeting)寿(Blessing)
諏(planning) 惚(fallinlove) 人(person,man)

五円:御縁(Connection. Involvement. Relationship)

 

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