★★★ヨーロッパ鉄道の旅★★★
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ヨーロッパ58日間 鉄道の旅・写真集


1 イタリア→オーストリア(7/21-8/2)
成田→→バンコク→→ローマ→オリビエート→アレッツォ→ウルビーノ→リミニ(→サンマリノ)→ヴェローナ→インスブルック→ツェルアムゼー

2 オーストリア→ドイツ(8/3-8/12)
→ザルツブルク(→ザルツカンマーグート)→デュルンシュタイン→ウィーン→バンベルク→ウルツブルク

3 ドイツ→オランダ(8/13-8/26)
→ハイデルベルク→マインツ→コブレンツ→アーヘン→マーストリヒト→ヘールレン→ライデン

4 オランダ→ベルギールクセンブルク→フランス→タイ(8/27-9/14)
→ブレスケンズ→ブルージェ→ナミュール→ルクセンブルク→ストラスブール→ナンシー→ルーアン→パリ→→バンコク(→ランプーン)→→成田

◆旅のはじまり
 夫の大学の夏休みを利用して、今年の7月21日から9月16日までの58日間という、これまでの旅行で一番の長期旅行をしました。イタリアのローマから入って、オーストリア、ドイツ、ベネルックス3国そしてフランスのパリまで、さらにはタイのバンコク経由で帰国という行程でした。

 移動には列車を利用するため、二人でザックを背負う事にしました。ヨーロッパの石畳ではスーツケースを引っ張ってのホテルさがしは難しいです。もちろん着替えは最小限とし、毎日の洗濯は欠かせません。旅行中に毎日洗濯するということは、何十年来の癖ともなっていますので、夕食後の洗濯は苦痛ではなく、洗い終わったスッキリ感は、一日が無事終わったことの締めくくりでもありました。

 ホテルの予約はイタリア到着直後だけとし、ヨーロッパ最後の都市パリまでは自由気侭な旅を続けた結果、訪れた都市は、イタリアではローマ、オリビエート、アレッツォ、ウルビーノ、リミニ、ベローナ。オーストリアではインスブルック、ツェルアムゼー、ザルツブルグ、デュリュムシュタイン、ウィーン。ドイツではバンベルグ、ウィツブルグ、ハイデルベルグ、マインツ、コブレンツ、アーヘン。オランダではマーストリヒト、ヘールレン、ライデン、ブレスケン。ベルギーではブルージェ、ナミュール。そしてルクセンブルグ。フランスではストラスブール、ナンシー、ルーアン、パリ。そしてタイではバンコック、チェンマイ、ランプーンと実に31にもなりました。1都市2泊、時には3泊のペースでの移動です。

 出発前にインターネットを通じてイタリアのホテルを予約しましたが、その日その日を気楽に動きたい夫は「これで旅の面白さは半減した」と嘆いていました。しかし、実際のところホテルさがしは旅行中の三大懸案事項(ホテルさがし、列車の切符購入、食事)の一つでもありました。とはいってもこの三大懸案事項を解決するのが個人旅行の醍醐味ともいえますが、、、
 ホテルさがしは、先ず駅についたら、iをさがす事から始まります。駅構内にあるiは、ほとんど鉄道のinformationです。ごくごくたま〜に駅舎内にtourist informationがあったら、ラッキーといえます。というのは、駅を出てiマークをキョロキョロとさがし、あったと思ったら、それはtourist informationへの道しるべ、だったりするからです。iマークが見当たらないと思っていたナミュールのiマークは、舗道に描いてありました。

 また、時には駅前や駅隣にあったりするので、とにかく駅を出たらキョロキョロが鉄則です。そして、ヨーロッパの多くの街のtourist informationは、旧市街のまん中に位置しています。その時は駅から旧市街まで1kmから2kmほど歩かなくてはなりません。重いザックを背負いiを目指して歩きます。おーっと、その前に地図を手に入れなくてはなりません。ヨーロッパの街はクネクネ曲がりくねった道が多く、道路名を確認しながら歩かなければiに辿り着けないのです。持参の旅行書にiまでの地図が載っていれば良し、なければ駅の売店で手に入れます。

 ようやくtourist informationに着いたら、ホテルをさがしている旨を伝えます。予算を尋ねられ、たちどころに、何件かのホテルリストをプリントアウトして手渡してくれる街、予約も無料でしてくれる街、手数料を取られる街、リストを渡されて自分でさがしなさいと言われる街、等々さまざまです。
 しかし、iがあるだけでも良しとしなければなりません。駅を出たらな〜んにもない町(町とは言えないかも)もありました。もちろんホテルなんて影も形もありません。途方に暮れるばかり。
この時は、とにかく次の旅程=船に乗って対岸に渡り、海辺にポツンと建っているホテルに泊まりました。当然、船に乗る前に切符売り場の人に、ホテルがあるか確認してからでしたが。選択の余地がなかったこのホテルは、旅行中で一番高い宿泊料=豪華?ホテルでもありました。

 ドイツのウィツブルグでは、駅前のホテルリストの看板にB&Bの表示があり、街の中央付近にある事を地図で確認し、電話して訪ねたところ、そこはB&Bを紹介する事務所ということもありました。紹介されたB&Bはさらにそこから2kmほど離れた所(世界遺産である宮殿の裏手)にありました。老婦人の一人住まいのアパートで、ご自分の寝室を旅行者に提供しています。彼女は我々が泊まっている間、リビングの長椅子(といってもとてつもなく大きい)で寝ていたようです。寝室は15畳位あり、1間半ほどのクローゼットの1/3を使わせてくれました。その部屋には他に整理ダンスと机、ベッドのみ。20畳位のリビングとキッチンとバスルームの2K。物が溢れている日本の家と比べ、ドイツ人のシンプルな生活を垣間見ることができました。

 旅も終わりに近くなったルーアンでは、駅前に手ごろな料金のホテルがありました。しかし、夫は駅前のホテルに決めるのはあまりに安易すぎると、少し歩いてさがそうと申します。炎天下の中を歩きました。坂を下りかかったところでちょっと左の路地を見ますと、ホテルの看板が見えました。直ぐに左折して入り口に掲げてある料金表を眺めていますと、日本人の若い女性が顔を出して迎え入れてくれました。ほんの5ヶ月前にオープンしたばかりで、16世紀に建てられた古い建物をフランス人のご主人と共に改築中とのことでした。即ここに泊まる事に決め、荷物を置いて、街を散策するべく外に出、ふと仰ぎ見ますと、なんと駅は目の前。ほんの5分ほどしか歩いていなかったのです。暑さと重い荷物は時計の針を進めるようです。


◆ヨーロッパの犬

 ヨーロッパの犬はよく訓練されていた。一見恐ろしげな大きな犬でも、スーパーなどの大きな店にはそのまま連れて入っていく。そういえば、シェパードはジャーマンシェパードともいうので、ドイツが本場なのかもしれない。少し小さな店では入り口に置きざり。それも引き綱など無しである。行き交う人々は犬の側を何ごとも無く通り過ぎて行く。介助犬でさえ時には入店を断られる日本では考えられない光景だ。ホテルや店の『招き犬』然とした大小さまざまな犬も見た。犬たちはとても大人しく、見知らぬ人に撫でられても平然としていた。

 ヨーロッパのお年寄りは足の悪い人が多く、杖をつきながらゆっくりと散歩する人、車椅子で連れ合いと共に買い物する人、いずれも犬を連れている。大きい犬も小さい犬も、どの犬も『しっかりご主人さまをガードします』という風情で従っている。こんな光景を眺めると、犬は人間の最良の友という言葉がぴったりくる。

 しかし、犬の落とし物はいただけない。どんなにきれいな街でも、足元に気を付けて歩かなければならない。美しくディスプレイされた店の前にも、大きな物が落ちていたりする。道や公園にはゴミ箱がたくさんあり、その脇には犬の落とし物用ビニール袋まで備えてあったりする。しかし、それを利用しているのを見たことは無い。道を汚すことに何の抵抗も無いようだ。きれいな若い女性が食べ歩きしていて、その包み紙をポイと道路上に捨てたのには驚いた。

 オランダのライデンで運河のコンサートを見に行った。我々観光客は運河のほとりから鑑賞した。船を持っている現地の人は、船上でお酒を飲みながら優雅に鑑賞。その人たちの殆どがタバコをひっきりなしに吸っていた。その吸い殻はどこへ?いずれも運河の中へポイ。タバコのポイ捨てはいたるところで見た。ということで、石畳の溝にたくさんの吸い殻が落ちていた。

 それをきれいにするにはどうするか。箒で掃くというわけにはいかない。掃除人が巨大な掃除機のようなもので吸い取っていく。自転車の陰などにあるゴミはどうするか?これも専門の人が大きなノズルのようなものから強風を出して、吸い取りやすい場所まで吹き寄せてから吸い取っていた。このように道のゴミはあくまで掃除人という専門家がきれいにしていく。しかし、場所によっては毎日という訳にはいかないらしく、掃除人が来るまでは汚れ放題といったありさま。フランスのナンシーという、それはそれは美しい街の有名な寺院の真ん前に大きな犬の落とし物があった。誰かに踏まれたりしていたが、3日後にナンシーを出る時まで、ついに片付けられることはなかった。

 パリからタイに移動して、犬の扱いの違いにはびっくり。タイの犬は鎖に繋がれてはいない。ほとんどは首輪すらしていない。野犬なのか飼い犬なのか判然としない。しかし、どの犬も悠然と寝そべっていたり、駅や線路上をトコトコ歩いていたり、人間にオベッカを使ったりはしていないし、人間も邪険に追い払ったりもしない。あるがままに生きている。タイの犬の穏やかな顔つきを見ていると、こちらもゆったりした気分になる。人間に飼いならされているヨーロッパの犬と比べ、タイの犬のほうが幸せそうに見えた。

◆親切でスローライフなバスの運転手

 オーストリアのツェルアムゼーから、オーストリアで一番高い山グロースグロックナーが眺められるという山岳道路バスに乗った。このバスはポストバスという名前の通り、郵便局とは密接な関係。ということで、バスの始発は郵便局の裏手。

 ヨーロッパに来て気付いたことは、駅の切符売り場などでロープを張って、フォーク並びするように指示されていないと、乗客は決して並ばないということ。この始発のバス乗り場でもしかり。我々はしっかりバスの標識の前に並んでいたが、後から来た人はそこら辺りでウロウロ。バスが到着すると、我れ先に乗り込む。この我れ先主義には旅行中ズーッと悩まされた。といっても列車は時刻表に書かれているホームに停まるとは限らないし、到着直前に変更になったりで、日本のようにホームに指示されている場所に、きちんと停める技術は要求されているとは思えないので、もともと並ぶという概念が無いのかもしれない。

 郵便局の裏手の次のバス停はツェルアムゼー駅前。このバスに乗る乗客は観光目的の人がほとんどなので、行く先の情報を運転手に確認してから切符を買う。そのうちの一人が色々な質問を投げ掛けている。それらに丁重に答える運転手。言葉は理解できないが、観光情報を聞いている様子。ようやく聞き終えたその男性。ありがとうといってバスを降りて行く。ナンダナンダ、バスに乗るんじゃなくて、ただ聞いただけか。そんな人にもイヤな顔を見せずに納得いくまで教えてあげる親切な運転手にびっくり。乗客も我関せずの雰囲気。定刻から大幅に遅れてバスは発車した。阪神電鉄の決められた時間を守ろうとして、結局多くの犠牲者を出してしまった事故を思い出した。

 とおもったら、運転手の携帯電話が鳴る。マイクに接続されている電話で話しはじめる。話の様子では業務ではなく、個人的な電話の感じ。片手運転ではないが、右に左にカーブが続く山岳道路を走っているのに、延々と話し続けている。またもやナンダ、ナンダである。業務中にいいのか?

 オランダのライデンで、インフォメーションで予約してもらったホテルは、バスで行くところだった。バスに乗る時に住所を書いたメモを見せると、OKとうなずく。しばらく乗って、運転手がここだよと教えてくれ、バスを降りてビックリ。ホテルの玄関先に停めてくれたのだ。思わずありがとう。

 バス停で最終バスの時間を調べていたら、通りかかったバスがプーッと警笛を鳴らす。振り返ると、運転手が乗らないのかと、バスを停めようとしていた。あわててノーノーと手を横に振る。

 オランダのブレースケンズからベルギーのブルージェまでのバスの運転手は、途中10才ぐらいの息子を拾い、運転席の隣に座らせて、いろいろな話をしながらの運転だった。日本ではつい最近、東武鉄道の運転手が、幼い息子を運転室に入れて首になり、その結果、かわいそう、やり過ぎ、当然という様々な声が寄せられたという。彼我の運転手の仕事中の態度、いわゆる文化(?)の違いをつくづく感じたものである。

◆タイ訪問

 世界各地で活躍している日本人を紹介するテレビ番組『ポカポカ地球家族』を楽しみに見ている。一昨年の秋頃だったか、タイ人の奥さんの故郷の村にリゾートホテルを作った人を紹介していた。タイ北方のチェンマイから車で1時間のランプーン(かつて王宮があった)市のそのまた郊外にあるという。まだ知名度が低いので宿泊客はすくなく、日本人のご主人は工場でパートの仕事をしながらホテルを維持していると紹介されていた。

 今回の旅行では、タイ航空を利用するので、帰りに是非そこに行きたいと思い、メールすると、即OKの返事が来た。チェンマイまで迎えに来てくれるという。それが6月のことだった。50日間のヨーロッパ旅行を終え、9月中旬にバンコクに入って、改めて確認メールをバンコク市内のインターネットカフェから出しておいた。後から分かったが、バンコクから出したメールは、ことごとく行方不明になっていた。

 バンコクから夜行列車でチェンマイに入り、約束の時間にホテルオーナーのKさんが車で迎えに来てくれた。
 テレビに出たおかげで宿泊客が増え、今はパートを辞めてホテル運営に専念できるようになった。現地の人を雇っているが、日本人特有の「気配り」「気ばたらき」といったものは期待できないので、1から10までこと細かく指示を出したり、後から作業を確認しなければならない。など、文化の違う人と共に仕事をすることの難しさを語ってくれた。

 村の入り口の門をくぐってようやくホテルに到着。3匹の犬がシッポを振って出迎えてくれた。思っていたより遠く、1時間強かかった。
 大きなリビングと寝室、ジャグジーバス付の4棟のコテージが広い敷地にゆったりとあり、そこに行く道も花々で彩られていた。食事はとても美味しく、まさに豪華リゾート施設といった趣だった。しかし、ホテルの敷地から一歩外に出ると、そこはタイの田舎の村。その落差がとてつもなく大きい。

 翌日、同宿していたご夫婦と共にハーブガーデンに連れて行っていただいたが、どうも、現地の方を対象にしたエステ施設らしく、料金は格安だったが、泥パックを落とすシャワーが水だったり、個室が牢獄のように狭く、暗かったりで、なんともリラックスできなかった。

 チェンマイに帰る日の朝、車で15分ほどのカレン族の村に手織りの綿マフラーを買いに行った。イメージとして、村の雑貨屋さんあたりに、何本かぶら下げて売っているものと思っていた。しかし、日本で言えば江戸時代の農家といった風情の村に入り、ぬかるんだ道に気を付けながら織り手の家を訪ね、出来上がったマフラーを見せてもらい、気に入ったら買うというシステムになっていた。村を一巡すると、買い手が現れたと言う情報が村中を駆け巡ったらしく、次々に織り上がったマフラーを手に道に出て来た。それも買って、買ってという風ではなく、恥ずかしげにそっとマフラーを広げて見せる。織り手は若い女性から80才過ぎと思われるおばあさんまで様々で、出来上がりの寸法もこれまた様々。料金は均一で一枚100B(¥300)。

 産業といったら農業しかない貧しい生活の彼等にとって、100Bは数日の生活費になるのだろう。全部買ってあげたいが、なかなか好みの色合いが無い。心でゴメンナサイと言いながら、10数本購入する。

 チェンマイに戻り、日本人経営者の店で買い物ついでに1時間150B(¥450)のタイ式マッサージを受けた。ここは日本人向けに、お香がたかれ、静かな音楽が流れていた。

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