★★★べトナム・ホームステイ(2007年冬:17日間)★★★
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 女性は身綺麗、パンタロン風パンツ、ベトナム菅笠スタイル。成人男性は作業着。
 家の中は裸足。男女問わず、家の周りは土の上も裸足で歩き回る。幼児はあまり笑わず、無表情無愛想。土、日曜日、近くの大音響カラオケ風の集まりがうるさい。ご老人は自分の年齢を誇示する。相手の年齢を聞きたがる(年齢上の方が尊敬される?)。

 蚊取り線香が効かない。蚊は日本のより小さい。蠅はほとんど気にならなかった。
 川や水路で投網をしていたがゼロ(2度)。魚がわんさかいるわけではなさそう。川は茶色く濁って、これで魚が住めるのかと思う。

 この家の壁という壁に写真が貼ってある。野菜の煮付けのだし替わりに鶏肉少々。魚はお頭つきが頻繁に出た(箸の使い具合が試される)。

 TVは中国の王朝風恋愛物語、韓国映画の見え見え恋愛ものなど。ニュースも時に流れ、CNNでクリントンが出てきた。子供は日本xxマンのベトナム訳つきDVDを飽きずに何度もみていた。ステイ先には、冷蔵庫、DVDデッキ、大型電卓、PC(VISTA)あり。少し親しくなっただけなのに人の持ち物を平気で物色する。

 女子高校生の真っ白のアオザイ姿は綺麗で見とれる。アオザイはひらひらするので自転車では裾をハンドル手で持って運転する。薄いピンクのアオザイもなかなかよかった。パンツとひらひらの色がちがうアオザイ(空港など)は興ざめ。

 バス、車両はバイクを蹴散らして走る。追い抜き時は相手車両、バイクを威嚇する猛烈クラクション。新車は古い車を追い抜く権利、いい車はボロ車より先に走る権利あり。ローカルバスは荷物配達もこなす。自転車数台、老人+しこたま荷物も許される(ちゃんと受取人(迎え人)がいる)。バス待ちの拒否や否定は手をヒラヒラさせる。

 ステイ料金は30万ドン(¥2,400)/日だが、食事、宿泊、コミュニケーション対応等の内容から見て10万ドン(¥800)/日が妥当な料金(宿泊:¥200、食事:¥600)。私はこの値段でなければ二度と行かねー。Homestaywebで探したステイ先です。メール宛先は下記宛英語でアクセス可能。希望する方は上記値段で交渉してみて下さい。私の名前(yasuda)を出してもらって構いません。

ngthtrungmei@yahoo.com
vuthanhminh@gmail.com

12/20(木);初日
 12時すぎ、我が家を出る。服装はTシャツ、カッターシャツその上に雨具、防寒襟巻。不要な衣類は極力省略。JR,京成と乗り継ぐ。運良く特急に遭遇、15時には空港第2ターミナルに到着。15時半搭乗手続き。今日が出発のピークか?こみに混んでいる。並んでから、約1時間通路側の席確保。15番と前の席。 飛行機の中、ホーチミンでの空港税支払いの有無を聞いたが、おそらく切符料金に含まれているのではないかということだった(その通り)。

  機はほぼ定刻、6時出発、11時(時差2時間)着。約5時間のフライト。荷物は最後の方だったが、無事入手。両替は3万5千円で443万vdn(1万vdn=80円)。予想より50万vdn以上少なく、がっかり。ホームステイ料金400万vdnなのでギリギリ。最近の円安がうらめしい。荷物の再検査を受けて外に出ると人だかり。用のない怪しい人が話しかけてくるが、無視。2階が出発&出迎えロビーになっているようだ。こちらは椅子もあって、すいている。夜明かしはここに決定。今現地12時、冷房も切れて、むし暑い。

 ロビーの喫茶店はすでに閉まっている。出迎えとおぼしき人々が出入りしてガラス越しに到着する人を上から見下ろしている。真夜中の1時半上海からの最後の便で、私の周りには誰もいなくなった。 喫茶店の長椅子に横になって仮眠。


12/21(金):2日目
 5時、掃除人の足音で目が覚める。外はまだ暗い。 5時半が向こうから知らせてきた出迎え時刻だが、周りには誰もいない。1階の一般出迎えロビーに移動する。清掃車や掃除人が動き回っているだけで、案内人らしき人物は見あたらない。45分、ほんとにくるのかなと不安になったころ、とある男が我が方を伺う感じで近寄ってきた。こちらも身構えると「YASUDA!」「そっ」。

  当方の荷物は小ザックと肩掛けバッグ。彼のバイクに跨って、すでに混雑している市内をぬけ、バスセンターまで30分ぐらいのミニ旅。ここでローカルバスに乗り換え。おんぼろのワゴン車、大きな荷物で通路もふさがっているのに、さらに自転車まで持ち込む。延々2時間強、腰が痛くなってきた。バスは途中で乗客を乗せたり、おろしたりしながらずんずん進む。ところが、あと10数kmのところでバスの前輪がパンク。タイヤを外して修理が始まる。 待っていられない。

 結局、別のミニバスに乗り換えて彼の村へ。人が行き来する市場前でバスを降り、裏手の船着き場に移動。家人とおぼしき男性が舟を横付け。ここから舟に乗って、川をさかのぼる、支流に入ってスクリューにぼろきれがからみついて舟がダウン、手こぎになる。スクリューのボロきれ外しに手間取ったが、10数分で修理完了、水かさの少なくなった支流を遡って30分ほどで彼の家の前に到着。

 料金は1週間分前払い2,000,000vdn(\16,000)。何故かここでパスポートのビザを見せろといわれる。正直に出したが、すぐ返してもらわなかったのがまずかった。最後まで人質に取られた。 水シャワーをあびて、家人が用意してくれた昼飯を食べる。野菜中心、味付けは素朴、薄味、特に美味しいものはない。果物はスイカ、あとは絞りたてのオレンジジュース。

 部屋にもどって昼寝。草バッタと、草鳥を作ってみる。うまくできたので夕食時あげたが、素っ気ない。いくらでもその辺に生えてる草!だもんなあ。夜飯も昼食にほぼ同じ。魚は塩味がないので、魚醤を付けて食べるが、生ぐさい。

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12/22(土):3日目
 朝食7時、野菜に魚や肝臓だの具がのったぬるーいフォー。オレンジジュースにコーヒー。 午前、果物畑へ案内してくれた。整然としたxx農園みたいなものを想像していたが、適当に木が茂っているだけ。一応質問したが、自分にとって興味のある話ではない。クリークというか水路がそこら中にあって木や竹の橋を渡るのに苦労する。朝から木に水をまいている作業員がいる。毎日の仕事だそうだ。そこら中、水はいっぱいあるのに水不足? その後、自転車でこの付近を30分ぐらい一緒に走り回る。道は水路に沿っているが、時に林の中に入ったり、民家を避けて回り込んだり、迷路状態、へたをすると家に帰れなくなる。一応川沿いのメインと思われる通りはコンクリートの道。但し、バイクの交差も難しいぐらい狭い。

 昼飯、あとは昼寝でウトウトというより気疲れもあって、熟睡気味。15時頃起き出して草バッタ、折り紙、竹とんぼ削り。時々家人がのぞきに来る、草バッタを教えたら、でっかい草虫の作り方を教えてくれた、少し修正すればカミキリムシ風に編める。ありがとう。 夕食は昨日よりおかずが少ない。部屋に戻ってから、ザボンの差し入れあり。

 寝床は竹格子上に毛布一枚だけだが、弾力性があるので寝心地はそれほど悪くない。夜は冷えるので掛け毛布必要。5部屋ほどあるが、裾はツウツウ、明かりは天井の蛍光灯の共通照明。入り口のオープンスペースにはベッドが3つあり。日中の私の趣味の作業場にした。屋内にトイレ、シャワー、手洗いが共用で2つ。季節的に忙しい時期の労務者用の建物らしい。家人が住む母屋からは離れて、門の近くにある。


12/23(日):4日目
 朝飯前の散歩。昨日の自転車旅の逆を歩く。細いでこぼこ路をバイクがどんどん通り過ぎていく。橋を2回渡ったところまでは記憶していたが、この後三叉路にでた。30分以上歩いたが、ここで迷うと帰れなくなる。同じ道を戻る。 7時15分、ちょっと遅れての朝食。彼は今日ホーチミンに戻る。あとは家族が対応してくれるというが、英語は通じない。当方としても英語で頭を使いたくないので望むところ。

 昼食、パイ包み焼きみたいなもの、野菜で挟んで食べる。皿に盛ってあったのを全部食べたら腹一杯。オレンジジュースは部屋でいただくことで持ち帰る。
 午後もおりがみ、昼寝、竹とんぼ。娘がやってきて大きなシダの葉で花の作り方を教えてくれた。これはなかなか面白い。当方はだまし船と小さな箱の折り紙を教授。ついでにベトナム語の発音を少し教えてもらった。

 夕食はおかずも少なく素朴だった。昼食が豪華だったからか。夕食後は洗濯、シャワーをすませ、後は寝るだけ。川向かいの家からカラオケらしき大音響。

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12/24(月):5日目
 朝の散歩は、昨日と逆コースで回り、一周可能な1時間弱の散歩道を確認した。時々、犬がほえかかってくるのが気に入らない。 7時、すでに家人はすませたようでぬるいお粥が出てきた。以後、朝食は少し早め6時半に押しかけることに決めた。

 部屋に戻って折り紙しているとドヤドヤとおバヤン2名が「洗濯だあ!」といって入ってきた。各部屋にあるもの(カーテン、毛布など)をすべて洗濯するらしい。便乗して私のシャツ2枚も。

  午前、私が希望していた小学校訪問、親父さんが自転車で先導。当方とっさのことで用意するものなく、心の準備もなし。校長先生らしき男性の案内で教室の小学生の授業の様子を覗かせてもらう。この小学校の設立には日本の援助があって、銘板が校舎の壁にはってあった。クラスは3クラスx30人ぐらいってとこかな。みんな級長の号令一過挨拶してくれたが、当方とまどってお辞儀するだけ。帰り道反省しきり。再訪問して日本からきた怪しいじいちゃんと思われないよう、何か披露しなければと思った。

 冷や汗をかいたあと差し入れのココナツジュースはおいしいー。 昼食はご飯と、魚(煮浸し)、カボチャと挽肉、瓜と菜っ葉の汁物。ココナツを割った内側のとろりとした部位が食べられると出してくれた。甘くはないが食感がおもしろい。

 午後は昼寝と暇つぶしいろいろ。午後日がかげったので外で竹とんぼ削り、明日の学校再訪問ために2,3本羽根を作っておく。彼の弟君がきて話しかけるが、通じるはずもない。指さし会話帳を出して何だかんだと。

 夕食は粗食、毎日晩餐ではこっちも疲れる。TV見ながらの食事は昔の日本の原風景。


12/25日(火):6日目

 今日の学校訪問の予定を立てる。自己紹介から、折り紙、竹とんぼあたりをテーマにしよう。小学校にもう一度行きたい、私の名前は安田です、私は日本人です。竹、作る、xx人(折り紙は3人一組で作業予定)、書く(グループ分けで生徒に名前を書いてもらおう)、作る、皮、切る、曲げる、接着剤などの単語を調べる。1時間ほどかかった。

 朝食はお菓子みたいな甘い餅米団子(ココナツミルク浸し)とスアマみたいなもの。なかなかしゃれた朝食であった。今日再度学校訪問したいと申し出る(ベトナム語で)。

  8時出発。予定外に近くの低学年小学校に寄るという。授業に乱入、竹とんぼの話をする。昨日削りをすませた羽根をアルミホイルで包んで焼いて曲げ、とばして見せた、自己紹介(日本からきたこと、名前など)もちゃんとできたし、イベントを一つやってみせられたのでよかった。進呈した紙風船数個、つくとパンパンいい音がして子供たちに好評だった。生徒、先生と記念写真。

 さて、自転車で昨日の小学校へ。自己紹介後、すでに作った大きなくす玉や箱の折り紙を取り出したら、一瞬オオーと声が上がって興味を示してもらえたようだ。3人一組とし1人ずつ黒板に名前を書いてもらい、折り紙1枚進呈。私が1人づつ名前を読み上げて顔を確認。うむ、ここまでは順調、順調。名前を書くたびに折り紙を1枚ずつ手渡すというのもよかった。名前を読むというのもいい。時々発音を注意されたりして。3人に1人足りないので予定通り先生にも入ってもらった、折りはじめから最後まで、1つ1つ折りを確認するたびに「オー!!」と声があがるが、うまく折れてる子は少ないみたいだ。最後の畳み込みは、脇で作業する先生ですらおぼつかない。すでに作っておいた2枚と計3枚で実際に箱一個を作って見せ、では「3人1組で、さーどうだ!!」とふってみた。完成皆無、残念。

 ここで本当は一組づつフォローして完成させれば良かったと反省した。あとで作ってねと適当にうちきり、先の小学校と同様「竹」の絵をかいて、この竹の皮の部分を切り出して、削って(ナイフ)、磨いて(ヤスリ)、火であぶって曲げて(実演)、棒を接着剤で固定して(実演)、、、、の話の後、同じように竹トンボをとばして見せた。高く飛んで歓声があがった。しかし、1本がすぐ壊れた。一旦しまい込んだ、接着剤が見あたらなくて修理できなくて残念だった(ごめんね!!)

 30分ぐらいのドサクサ乱入授業だったが「日本から来たじいちゃんが、xxをやってみせてくれたよ」位の情報をあたえることができたと思う。この次はもっとうまくやりたい。 授業のあと、メモ帳、文具セット、折り紙のくす玉等一式、そして500,000vdn(\4,000)を先生に寄付し、クラス全員で記念写真をとって終了した。 どこかでまた別の機会があればもっと上手にできるだろう、自分から申し出たことではあるが、肩の荷が下りてホットした。

 帰ってから親父さんがココナツジュースを差し入れてくれた。 昼食は11時半。お魚がおいしい。野菜のトマトの煮付けは健康的、薄味でよろしい。

  今まで作った折り紙をすべて学校に寄付してしまったので、新たにこの家に残しておくものを作らねば。残ったおりがみの枚数は約50枚(全100枚)、くす玉(30枚)と八角形箱(本体&蓋16枚)しかできない。

 夕食はほぼ従来通り、汁物、魚の煮浸し風など。夜、本を読み始めるが、目に悪いのでやめた。何となくうつらうつらしているうちに寝てしまった。

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12/26(水):7日目
 朝散歩に出ようとしたら目の前の川の水があふれて、門の前の道路が冠水、びっくりした。昨日まで水かさはスカスカだったのに。ジャブジャブすればわたれないほどではないが靴をぬらしたくないので、中止。 朝食は椰子の葉で包んだ蒸した餅米に砂糖をかけて食べる。当家のコーヒーはぬるいのが難だが濃いのがいい。少し砂糖を入れる。

 ふっと町に出たくなった。日差しも強くなく、絶好の散歩日和。舟で来た道を逆にいけは町に行けるはず。ずんずん歩いて30分ほどで町へつながる橋にでた。ここでパッタリ親父さんとお会いする。板木を横に並べた素朴な橋(下の川がスカスカ見える)を渡るとすぐ、市場になっている。青空喫茶店、屋台、ぐるっと回っても200mぐらい。道路沿いには雑貨屋さん、電気屋さん、その他、川沿いには果物、野菜、肉、魚など食料品の市場がある。

 帽子を買いたかったので最初見かけたお店で交渉、手帳を見せて20,000vdn(\160)、相方50,000(\400)を指す、「2にしてよ、このうちわあげるから、、、」「だめー!」それにしても高すぎる。(¥x10と単純換算している故、\4,000なんてもってのほか)食料品の市場を見学、そばにあったお店で聞くと帽子あるとのこと。「いくら?」手帳を見せたら何と10,000bdn(\80)だと。うれしくなって被って家まで帰る。

 もって出た団扇と草バッタは帽子売りの叔母さんと近所の子供にあげて、全部消化した。なるべく,近所の人たちに怪しまれないよう、簡単にあげられるものをもって歩くように心がけている。また、歩くときの基本は目があったらできるだけ「シン、チャオ」の挨拶を欠かさない。訝しげな人もいるが、ちゃんと挨拶を返してくれる人もいる。外国人だから挨拶は、謙虚にこちらからのつもり。 帰り道、バナナの積み込みをやっていた親子、さっきから1時間もたってるというのにまだやっている。それほど仕事が進んでいるようには見えない。さっきは挨拶しても怪訝そうな顔つきだった彼、私の帽子をみて「にやり」当方も「よい買い物でした」の顔つきで返す。

 昼食後、うたた寝から目を覚ますと娘が部屋に入ってきて、なにやら本をさしてベトナムベトナムと口走る。何のことかわからず、この本はタイ、カンボジア、ラオスだの旅本だと説明するが、どうも違うことを要求しているようだ。指差し会話帳をもってきたら、彼女はしばらくそれをみて「保育園」「勉強する」の単語を指す。これから自転車でいくのだという。一緒に行こうと誘ってくれる。じゃあいくー。 自転車でこの家の息子(保育園で勉強?している)を引き取りにいくらしい。

 無舗装の砂利道を延々20分ほど走って例の町へつながる橋にでた。さっきの川沿いの道よりこちらのほうが近道だ。ここから数百m離れたところに保育園はあった。なんとこんな小さな町に400人の大保育園。ちょうどおやつの時間でみんなもち米にココナツミルクをかけたものを食べ始めた。園内を適当に見学させてもらい、辞する。

 家に戻って、ココナツジュースの差し入れあり。カーム、オン(ありがとう)。 夕食は停電につき、外にテーブルを出していただく、このところ、デザートはスイカに代わってマンゴーになった。我が部屋にもどると、親父さんが油ランプを持ってきてくれた。8時過ぎに電気回復。

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12/27(木):8日目
 朝食は昨日と同じく、餅米ココナツミルクと、芋を裏ごししたみたいなもの(セロハン袋入り、手で握って固めて食べる)と「すあま」(緑と白の縦縞)みたいなもんだった。今朝は男どもだけで女性はいない。朝飯早すぎるのかなあ。

 急に思い立って、たまたま見つけた荷ひもで草履を編んでみる気になった。近くを物色バッタの葉っぱを取りにいったらそばに枯れた葉っぱがあったので使えそう編んでみる。うん、タケノコの葉っぱって感じ。コシもあって曲げて使えそう。試しに一つ編んでみた。いける。

 早速市場に紐を買いに行く。例のごとく草鳥とうちわ2枚を持参する。最初、袋に入った紐(100円ショップで売ってる荷紐)「2,000vdn(16円→160円勝手換算)でどお?」そばの子供に聞いてみる。安すぎるみたいだ。「じゃあ5,000vdnか?」しかし、うんと言わない。5,000vdn(\40)以上出す気はない。次のお店、そばに英語を話すバアちゃんがいた。「これ5,000vdn?」「いーや2,500vd n(\24)でいいのよ」鋭いサジェッション。お店の人渋々、了解。彼女はその後もいろいろ絡んでくるがこれで目的完了。感謝の印にうちわをプレゼントし、家路を急ぐ。

  例の枯れた葉っぱの芯を除いて、そばの池の水で洗う、これで少し柔らかくなった。入手した紐が細いのが難点だが何とか編めそうだ。

  昼食、夕食時は、頻繁にに魚が出る。出された箸は先太なので使いにくい。持参の携帯マイ箸を使ってみたら、断然使いやすい。以後、食事時はマイ箸使用決定。

 昼過ぎ、パパイヤの差し入れがあり。まあまあの甘さだが、特有の風味、かつでかい故食べ飽きる。 夕食後、6時をすぎるとほぼ真っ暗になる。夜は毛布が2枚ないと寒い。午前中はまあまあの気温。午後になると少しむし暑さを感じる。折り紙は湿度が高いせいか、作った箱やくす玉の折がゆるんでくる。PC用ACアダプタは100-240V兼用、コンセントは日本に同じ。


12/28(金):9日目
 今日の朝食も餅米、ココナツミルクかけとすあま、コーヒー。これから子供を保育園に送っていくらしい。さて、土、日いづれか彼が帰ってきたらパスポートを取り戻さなくてはいけない。人質らしいと今になって気がついた。

 枯れた葉っぱで草履作り。小型のもの3つ、すべて第1作に合わせようとしたが、3つともいまいち、少しづつ大きさがちがった。まだまだ修行が足りない。

 昼食は娘が用意してくれた。マンゴーがいつもながら美味しい。午後親父さんがココナッツを持ってきてくれた。

 青い葉っぱをとってきて一日干してみた。だいぶん柔らかくなったので明日一日干してこれで草履にチャレンジしてみよう。朝は寒いぐらい、シャツをきた。ただ日中は半袖でちょうど良いぐらいの気温。

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12/29(土):10日目
 超簡単朝食、餅米の葉っぱ包み(砂糖をかけて食べる)と餅米の砂糖入り菓子、コーヒー。週末だから簡単。

 昨日干した葉っぱで中型草履を編んでみた。なんとか折れずに編めることがわかった。葉っぱが足りなくて片方しか作れなかった。両手両足を使うので骨が折れる。

 ちょうど1週間が過ぎた。考えるに、このホームステイ料金300,000vdn/日(\2,400→\24,000に勝手換算)/日は高すぎる。価格的には半額以下100,000vdn(\800)である。

 昼飯は普通、果物はスイカに代わった。昼過ぎココナツの差し入れあり、続いて餅菓子2種の差し入れあり、これでお腹がいっぱい。夕飯、大丈夫入るか。
 午後は旅本「メコンの国」を再読したり、昼寝をしたり、葉っぱをとってきて芯を抜いて干したりして過ごす。 フラッと部屋に入ってきた英語叔母さんがしゃべりまくって出て行った。分家のおばあさんが私の作品を見に来てくれた。しかし、お二人さんとも傍若無人に人の持ち物をあけてみたり、放り投げたりするのがちょっと気になる。

  私の夕食は、家族の食事前、すなわち家族テーブルに出ている食べ物におばあさんが待ちきれず手を出している時間です。瓜の挽肉詰めと魚一匹、果物ココナツどろどろ風(おばあさんと弟君から、美味しいから食べなさいと強く進められた)。魚一匹はそのまま残し、その他はなんとか食べました。それなりに私のお腹、よくぞ入るものであるよ。


12/30(日):11日目
 朝食は椰子の葉っぱに包んで蒸した餅米保存食風2種と「すあま」、コーヒー。

 昨日刈り込んだ葉っぱをみたら、片や脱色して白っぽいのと青々しているのと分かれた。理由は分からない、両方適当に組み合わせて編んでみた。色がまだらになってうまく編めなかったが、やっと小さな一足分できあがり。さらに、円座を作ろうと葉っぱを編んでみたがうまくいかない。草編みの教則本を持ってくればよかった。

 夕飯前の散歩に出かける。市場はそろそろしまいかけ、日曜日だが人出も多くはない。お店が無くなるところまで歩いてみた。適度な運動。路上カフェは以前来たときより閑散としていた。 途中草っ原の校庭でサッカーに興じる子供たちをしばし見学。「ほわっちゅあねーむ!!」なんて大声で叫んで通り過ぎる子供たち。

 一日曇天、夜ぱらぱらと雨の音。真夜中に蛍が一匹窓からはいってきた。こんな濁ったお堀にもいるのかあ?真夜中、トイレで青色赤斑点のきれいなトカゲ(30cmぐらい)が壁にはりついているのを見てびっくりした。

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12/31(月):12日目
 朝食は太麺のフォー。肝臓、もやし、にんじんなど入っている。生のもやしの生臭さ、麺もぬるい。もっと熱々を食べたいね。

  昼食は魚と瓜と挽肉の煮物、スイカ、オレンジジュースとほぼ定番メニュー。

  曇天、肌寒い。試行錯誤を重ね、葉っぱで蛇の口(筒状、指を入れると閉まる)を編むことができた。指を入れて引っ張ったら、おお、抜けないよー。

  午後、親父さんがパパイヤの差し入れ、私「ドゥドゥ?」親父さんから「ドゥドゥ」と発音を直された。わかんなーい。暇つぶし作業はやり尽くしので、最近あまりすることが無く、全く暇になった。PCゲームは長くやってると罪悪感にとらわれる、貧乏性。

 大晦日ではあるが、夕食はお魚、あとは野菜の煮浸し風、スイカとオレンジジュース。生涯でもっとも簡素な、大晦日の一日であったかも。


1/1(火):13日目
 紅白の餅米団子に甘いココナツミルクをかけたもの。紅白は一応お正月のシンボルか。それにパパイヤ、コーヒーなる簡単朝食。
 葉っぱ4本(従来2本)を使って大型草鳥を作ってみた。ばかでかくで繊細さに欠ける。バッタも大型にしてかみ切り虫っぽい形にした。こちらはかなりリアルにできたと思う。

 昼食は瓜と鶏肉の煮物、葉物の煮付け、唐揚げ魚、スイカ、オレンジジュース。

 昼寝のあと、自転車を借りてそのあたりをミニサイクリング。まず、2kmほど先の町に出てみた。通りに国旗が掲揚されている以外は普段と変わらない。市場まわりの人出も普通。街の外れまで行って引き返し、この家の周りを一周する散歩道に入る。ここで子供たちにぱったり会ったので草鳥とミニ草履をあげた。さらに、こないだ訪問した小学校まで行こうとしたが、道が分からなくなり、結局引き返した。2時間あまり、道は平坦なので基本的には楽なのだが、所々段差のあるコックリート道や無舗装砂利道なのでお尻がいたくなった。街の美容院は目立った。入り口全面開放、西洋ウエディングドレスマネキン数体。美容院自体に入ることがステイタスのようだ。

 夕食は普段通り、大晦日同様、簡素なお正月は今降り出した雨の中、終わりを告げる。後は寝るだけ。


1/2(水):14日目
 今朝は寒い、シャツを着た。葉っぱでくるんだおこわ(中に甘味の豆らしきものが入っている)とコーヒー。 朝食後、小学校と保育園に寄付したいので連れてってとお願いする。

 子供を乗せた母親の自転車の後を追う。保育園は園長先生に500,000vdn(\4,000)を直接進呈。

 帰り際、道ばたでチェーンが外れて困っていた女性あり。すぐ降りて直してあげたが、その辺に放り出した自転車のかごから私の荷物がアレー!どこかに??修理を終え、自転車に乗って数十m行ったところで気づく。彼女も戻ってきて一緒に探してくれたが、無ーい。自転車修理の間に盗られたとしか??中身は竹とんぼ3機分、接着剤、指さし旅本、それに小学校へ寄付予定の300,000vdnだった。貴重品は身につけておくべし。被害はそれほどでもないので不幸中の幸い。結局小学校への竹とんぼと寄付は断念せざるを得なかった。

 おばやん連が例の英語おばやんと一緒に事件発生とばかりに、入れ替わり立ち替わり出入りしてどうのこうのと質問してくるが、当方宇宙人状態。無くした、お金と本と竹とんぼの説明に苦労する。 しかーし、その後何故かそのまま戻ってきたのである。お金はしっかり本の間に挟んでいたので気付かれず近くのxx(警察署?)に届けられたらしい。中にあった日本語本からこの辺りで日本人が居るところといえばここのホームステイ先しかない、というのでこの家に電話がかかってきたらしい。おばやん、英語おばやん、家族総出で説明してくれた。感謝、感謝!宇宙人としては「カーム・オン(ありがとう)」を繰り返すばかり。それにしても周りのみなさんには心配をおかけしました。以後、気をつけます。

 昼食後、ザボンの差し入れあり、これ大好き。
 今日一日前の畑に入らなかったら、足のかゆみが引いた。昨日からの足のかゆみは雑草にかぶれたのかもしてない。葉っぱでエンゼルフィッシュの連魚を作ってみた。

  夕食は鶏肉の佃煮味煮付けとインゲン鶏肉、葉物の煮物、スイカ、オレンジジュース。帰りにトラブル解消のお祝い代わり?かおばさんが、部屋で食べなさいとモンキーバナナ8房をくれた。今日は一日寒く、シャツを一日中着ていた。

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1/3(木):15日目
 同じく肌寒い天候、曇天。朝食はバナナ葉でくるんだ蒸し餅米、砂糖をかけて食べる。それと米シートでくるんだ甘い餅米蒸し団子風?この家で作ったものではなくて買ってきたもののよう。普段食べるフォーやご飯よりも買ってきたものを出すことが歓迎の印なのかもと思った。まずくはないが、こう続くと朝から甘い菓子風はちょっとなあ。

 8時に小学校訪問の同行をお願いしたが、今日はあいにくお休みだそうで明日に延期。内容は草バッタと草鳥作りを披露し、あとは竹とんぼと接着剤をセットしてあげること。寄付は残り少なくなったので300,000vdn(\2,400)にするつもり。

  外でバシバシ枝を切る音がしたのでお手伝いをしようと外に出た。椰子の葉っぱを棒に垂れ下がる形で同じ椰子の葉を糸代わりに縫いつけて一枚板状幅2mx高1mぐらいのものを作る。これで屋根を葺いたり、部屋壁に使う。鉈を使って、切ってきた椰子の枝から葉をそぎ落としたり、残った枝を薪代わりに短く切りそろえたりした。作業をしていた母屋の分家のおばあしゃんは私用に鉈を持ってきてくれたり、割とokの雰囲気だが、じいちゃんの方が迷惑そうなそぶり。しばらく手伝っていたが、じいちゃんがやめてくれみたいな合図をしたので、やめることにした。おばあしゃんは実際に編んでいるところを披露してくれた。ありがとさん「カームオン」男って保守的か?

 昼食特記事項なし。
 午後、ココナツジュースとスターフルーツ3個のダブル差し入れあり。スターフルーツは上部を水平に切って中身をスプーンですくって食べる。種は小指大、掴んで少し柔らかくなった時が食べ頃。少し渋みがあり、粉ミルクみたいに汁が固まる。

  尾頭付きの魚とニンジン&大根の煮付け、普通の夕食。スイカ、オレンジジュース付き。


1/4(金):16日目

 起床から6時まではまだ暗い。6時を過ぎると明るくなり始める。夜は薄い毛布2枚必要。曇天でお日様もたまにしか顔をださない。朝食は細長い棒状練り菓子風(椰子の葉で巻いて蒸したもの、ほの甘い味)、4本いただく。コーヒー。

 今日も小学校はお休みらしい、残念だが、少しホッとした(うまく授業をこなせるか心配だったのとこれで残ったお金を滞在費に回せる)このところでかい犬がうろうろしている。私に向かって吠えないが少々まとわりついて気持ち悪い。 紐でミニ草履作り、分家の彼が我が子(2歳ぐらい)を連れてそばに寄ってきた。相変わらず愛想は悪いが、かわいらしい。一応許可を得て写真を撮らせて貰う。

  昼は唐揚げ尾頭付きと煮物2種、スイカとオレンジジュース。また、バナナ4房を持たせてくれた。明日の行動食になる。

  昼過ぎひげそりに街へ。例の美容院の横に男性連がいたので、ここでひげそりOKかと聞く。女主人が子供の髪の毛をカットしていた。指さし帳で値段を聞くと5,000vdn(\40)と異常に安い。奥にベッドらしきものがあって横になる。確かにカミソリを当てているが、だんだん切れなくなって痛くなってきた。それでも構わずゴリゴリ、ゾリゾリ。ベトナムのひげそりは痛いらしい、じっと我慢する。そのうちハサミでヒゲをカットしだした。全部剃ってと手で合図する。すると、再びカミソリでまたもゴリゴリ、ゾリゾリ、、、、辛抱が極限に達したかと思われるところで終了。近眼でよく目が見えないので、手でなでてみてちょっと残りがある手触り。30分以上お客とおしゃべりしながらも悪戦苦闘した(と思われる)彼女に感謝して、チップ2,000vdnで彼女と記念写真を撮らせていただく。

 戻って、部屋の鏡で確認すると明らかにそこら中そり残しだらけ。我が家へ帰ってから剃る手間が少し省けたと思えばいいか。

  娘が椰子ジュースの残りのぬるぬるを乾かして作ったという紐状菓子をお土産にもってきてくれた。手提げ袋が野宿野郎製でびっくりしたなもう。さらにジャックフルーツの差し入れあり、お腹いっぱい申し分けないが残す。

 夕食も尾頭付きだが残して野菜だけ食べる。果物も入らない。初めてこの家のインターネットを使ってみた。VISTAだが、回線速度は我が家より遅い。入力はどうか分からないがHPの日本語表示もできた。カミさんにローマ字で予定通り帰りますのメールを打つ。

  ところで、あれ以来ここステイ先まで同行してくれた彼は一度も姿を見せず。明日7時に街へ出てバスに乗ればいいと英語おばやんがきて説明しくれた。娘たちが作った花飾りをプレゼントしてくれた。

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1/5(土):17日目
 起床、朝食は先日よりは少し熱い細麺のフォー。2度食べたが絶賛する味ではない。

 親父さんがパスポートと料金を書いた紙切れを持ってきた。1.600+200=1800vn(桁が多いので000を省いて記すようだ)。へー、ということなのか。皆さん家族でこの値段でやってるんよということね。さーて、では料金値下げ交渉はうまくいくか。

 結果は惨めな敗北。でも1時間以上交渉できたのは貴重な経験であった(と思うことにする)。1,000+200vdnで交渉開始、200vdnは送迎費用らしいのでこれを削ると当方途方に暮れる。まあ、ぐだぐだぐだぐだ「高いからおまけして」と書いた紙をヒラヒラさせて迫る常套手段。1日いくら、1週間なら、1ヶ月ならいくらおまけしてくれるのだの、小さな紙に数字を互いに書き込みながら、あの手この手を駆使して根負けを狙う時間稼ぎ。向こうもしびれを切らしてホーチミンの彼を電話で呼び出し、私に出ろと迫る。今更、英語の交渉なんて言われても頭が働くわけがない。電話口で彼がいろいろ説明口調でいってくるが私は「高すぎ」の主張一点張り。しかし、ホーチミンの彼までひきずりたくないし、ここで決めないと面倒。結局vdnがないから残り$で払うことに決めた。例の英語おばさんも駆けつけた。今度は、ドルで払うから残りいくら。先方は正規の残り金額28ドル(400vdn)。今度はドルの交渉だ。20ドルに負けろというがこれも拒否。もうちっとシリアスな内容で迫らないとだめだったかと当方も反省、矛を収める。2ドルのおつりはもういい、30ドルを支払い、根負け交渉成立となった。

  帰りにはかの、不機嫌な分家のじいさんも顔をくしゃくしゃにして握手を求めてきた。根はいい人だったんだ。もっとお手伝いすればよかった、と反省。
 結局長時間交渉で9時のバスに乗り損ない10時発のバスに乗る。 それからホーチミンへのバス旅も長かった。延々3時間半もマイクロバスに揺られて、お尻痛たった状態でホーチミン市郊外のバスセンターに13:30到着。

 迎えの彼のバイクに乗ると、ホーチミン市内のどこかに行くかというが、直接空港へ行くように依頼。なんだかんだ分からん英語を聞きながら動き回るより、空港で10時間ゆっくりした方がいいやの心境であった。空港前で記念写真を撮ってさよならした。

 空港の外に出てその辺から葉っぱを数枚手に入れ、空港で草バッタ、草鳥作りに精を出す。空港はやけにフランス人旅行客が目立つ。フランスは国粋主義(母国語至上主義、アジア蔑視、クジラ捕獲反対)なので大嫌い。興味を示して覗き込んできたフランスの御婦人に仕方なく草鳥を進呈。掃除人のおばさんが草バッタに興味を示す。作り方を教授。なんて暇つぶしをしながら飛行機を待つ。

ホームステイぼけ状態から一転して忙しい日本へ帰らねば。

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